女性蔑視の上地発言を考察する⑬
市長!何がどう「不適切」なのか、ご説明を!
これまでの本会議場における一般質問、代表質問、緊急質問での主に一問一答で、上地市長は私や日本共産党に対して「あなた(たち)は性悪説、私は性善説に立つ」こういう見地で答弁をしてきた。最近でこそ、露骨にそういう言い方はしなくなったが、以前ははっきりとそういうふうに「性悪説」とか「性善説」とか言っていた。つまり、上地氏は何を言っているのかというと、『共産党は何でも批判する、何でも否定する、それじゃ、物事がうまく進まないでしょ。私はまずは受けれて、良い方に解釈し、包摂し、肯定する。』と言っているのだ。
しかし、これは立場に規定された物の見方であって、お門違い甚だしく、あなた、自分の立場がわかってるの?と言いたいくらいだ。私が市長に質問するとき、それは市政のチャックをしているのだ。市政の不十分だと思われる点について指摘し批判し改善を求める。それを続ける者に対して、あなたは「性悪説」というのは「もっと私を理解して、評価して、褒めてくださいよ」と言っているに等しい。
つまり上地市長という人物は自己に甘い人物ではないかと思う。自己に甘いというよりは自己を顧みるという回路が極めて希薄かもしくはないということではないかと思う。ずいぶんなこと言うな、大村はと思う人がいるだろう。でもそれが私の本音だ。これまで、質疑を交わしてくる中で市長の目の奥にそういうものを感じることができなかったから。そういうものとは自己反省の回路のことである。記者会見のやりとりをもう1度振り返る。
再度読んでみてもはっきりするように、上地市長は「私の配慮を欠いた表現により不快な思いをされた方がいらっしゃった」この現実に対してお詫びをしている。自分の発した言葉に不快を感じた人がいる、だから、それに対して、ごめんなさいと言っているに過ぎない。そのこと自体の何が問題なのかということについてはおそらく、まったく無理解なのだと思う。
昨日「ポリタスTV」というのがあって、そこに署名運動を展開した「ジェンスカ」の「ももさん」が出演されていて、記者会見の市長の「お詫び」は不十分だったというような趣旨の話をされていた。私も同感だ。あの記者会見は「お詫び」と言いながら「言い訳」に終始していた。『まさか、差別する意思なんて、毛頭ありませんよ、あるわけないじゃないですか、私は家庭では同等でやってきたし、差別をなくすために政治家を志したんですよ、私の真意は真逆で私は女性の味方なんですから。ちょっと表現がオーバーだったですがね、反省はしてますよ。」市長の実際の発言をつなげるとこんな感じになる。「お詫び」と言いながら、自分の内なる差別意識にまったく気が付いていない。自分の中には差別意識なんてものがあるはずはないと信じ込んでいる。だから、「自己改革」とか「自己変革」という発想もあるわけがない。自分は論外、自分は棚上げ、終始その発想である。それ自体がもっとも始末に負えいない差別意識であることに気が付いていない。
日本共産党の中にも差別意識はある
日本共産党は第28回党大会で綱領を改定し次の一文を加えた。
「ジェンダー平等社会をつくる。男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、保障する。女性の独立した人格を尊重し、女性の社会的、法的な地位を高める。女性の社会的進出、貢献を妨げている障害を取り除く.性的指向と性自認を理由とする差別をなくす。」
日本共産党はこの文言を綱領に入れたことをもって終わりではなく、「学び」と「自己改革」も合言葉になっている。さらに第28回党大会の全党討論で1970年代の「赤旗」に掲載された論文などで同性愛を性的退廃の一形態だと否定的に述べたことについて、間違いであったことを大会の意思として表明している。そして、ジェンダー平等社会を作ることは女性や多様な性をもつ人々がその力を発揮できる社会をを作るだけではなく、男性も含めて全ての人間が自分らしくその力を存分に発揮できる社会を作る大きな意義があることを確認している。
ここまで書いてきて、ジェンダー平等社会の実現への働きかけは、まだまだ緒に就いたところなのだなと感じる。私自身も含め長期間生きてきた人間にとって、強い意識改革が求めらることなのだ。古い体質を解体する作業は何が古いのか、何が解体の対象なのか、その自覚から始めなければならない。自分の中には古い体質なんてないと言って変わろうとしない人間は迷惑だし、害悪だし、取り残されていくしかないのだ。
冒頭の「性悪説」「性善説」に戻るが、ものごとを疑ってかかることは何も悪いこととは限らない。社会にも自己にもこれで良し、ということはない。常に現状を疑って、改善することが必要なのだ。ジェンダー平等社会実現への道のりこそ「自己検討」「自己改革」なのである。そこに立脚できないといつまでも古い体質に拘泥する差別者に転落する。
6月定例議会最終日、市長は登壇して以下のように発言した。
「お詫びを申し上げるとともにこの場で発言の取り消しをお願いしたい」と言った。この登壇の趣旨は①「お詫び」②発言の取り消しのお願いである。何にお詫びしているのかと言えば、記者会見と同じである。「DNA ミトコンドリアの中に虐げられた歴史がある」と言ったことや女性の怨念や無念が社会を構成し反動形成で男女共同参画社会を構成している、また念を浄化させるといった旨の発言」これが不適切であるので「お詫び」したいと言っている。記者会見ではさらにこの「不適切な発言」を「不快」だと感じた人々がいて、そこに対しての「お詫び」であった。そして、「発言の取り消し」である。「撤回」ではなかった。そして明確に会議録からの「削除」の「お願い」はなかった。結果として「発言の取り消し」が動画や会議録の削除になったわけだが。
私は非常に粛々と行ったなと思った。だから「何がどう不適切なのかわからない!」と本会議で声を上げた。市長が不適切だと言ったその文言は繰り返しになるが「DNA ミトコンドリアの中に虐げられた歴史がある」と言ったことや女性の怨念や無念が社会を構成し反動形成で男女共同参画社会を構成している、また念を浄化させるといった旨の発言」を指している。しかし、それの何がどう不適切だと思っているのか、市長の心根が分からないのだ。不適切だ、不快だと言われたから、自分はそんなつもりはないけれど、おそらくそう思われたのだろう。だから「お詫び」をしておこう。その程度のことではないだろうか。だから、私は何がどう不適切なのか、その市長の心根が知りたいのである。そこが解明されなければ、上っ面のことで終わりにされてしまう。そして、市長の思いは市長に聞かなければ市長に質問しなければわかりようもないのである。
これで終わりではない。本格的なはじまりとして取り組みを強めていく。
そのための緊急質問の提案だったが、発言じたいが取り消されなきものになった以上、引用をもって質問を立て付けることは事実上不可能となった。9月定例議会において引用で詳細に質問はできないとしても、ジェンダー平等、ダイバーシテイの観点で市長の認識は問いたいと思う。今回のことを契機として、この分野について全力で取り組んでいく覚悟だ。全13回に渡って、好き勝手に書いてきた。まだまだ不十分。でも、今はこれで精いっぱい。もっと勉強して実践していきたい。 これでおしまい。