大村洋子
大村洋子大村洋子

女性蔑視の上地発言を考察する⑨

今回の上地市長の発言の中でひときは目を引くのが「DNA ミトコンドリア」という言葉だと思う。「DNA]という言葉は私の選択的夫婦別姓の一般質問でも市長の口から出てきたことは以前にも書いたのだけれど、どうして、こういう遺伝子の話が出てくるのか、遺伝子の話を持ち出すことの影響について考えてみたい。これは当然、たとえ話や比喩の類の表現なのだと思うけれど、女性の話をする際に「DNA」を持ち出すという発想に何か傾向的なもの、法則性のようなものを感じる。

私はこの言葉を聴いたときに先天的な疾病や障害を持った人々への配慮が欠けていると感じた。「DNA」と言った時には「持って生まれた」「生まれつきの」「元々あるもの」という意味を感じる。さらに言えば「避けられないもの」「逃れようのないもの」「変えられないもの」というニュアンスも感じる。熟語で言うと「宿命」とか「運命」にあたる。生命科学が進んで、このような概念も変わりつつあるのは承知しているが、「たとえ話」や「比喩」で用いる際に、このような印象を与えるのは避けられないと思う。同時にそれはある意味、自分ではどうにもならないもの、無意識に作動するものという意味にもとれる。筋肉で言うと内臓を動かす平滑筋のようなものだ。そこには自分で何とか良い方向に変えていこうという能動性を否定するような意味合いも含まれる感がする。

上地市長はおそらく無意識に言ったのだろう。故意ではないことを願う。しかし、故意でないと言っても、発せられた言葉はもう戻らないし、私程度の人間ですら、前述したくらいのニュアンスは受け取ることが可能なのである。感性の鋭い人ならもっと多角的に捉えていると思われる。以下に前述した生物学的な観点と運命論的な観点を考え、それらの考え方が実は上地市長の「差別や偏見をなくすために私は政治家を志した」との主張じたいと真っ向から矛盾するということを考えてみたい。

生物学的な観点から女性という「性」を捉えると

いきなりだけど、この後は⑩へ。