大村洋子
大村洋子大村洋子

女性蔑視の上地発言を考察する⑦

日本共産党控室にある「上地克明アーカイブ」

上地克明氏が2017年に初めて市長に当選した際に当時の議会事務局の職員に力を貸りて私たちは「上地克明アーカイブ」を作成した。上地氏は市議会議員として2003年に初当選しているので、「上地アーカイブ」は2003年から2017年までの14年間の市議会議員としての上地克明氏の発言をすべて収録したファイルなのである。ちなみに私は2007年に市議会議員に初当選しているので、上地氏とは10年間市議会議員としてさまざまな場面でご一緒した。私がこの「アーカイブ」を作成することにしたのは、市長となった上地克明なる人物はいったいどんな人物なのかをしっかりつかむ必要があると感じたからだ。人物の全体像をつかむにはその人の言動をつかむこと、とりわけ言論の府においてはその人物の発言をつかむことが必要だと感じたのだ。

上地市長誕生のきっかけは前任の吉田雄人氏の市長としての資質に欠けた言動、これに市民がうんざりしたことが大きかった。(100条委員会設置もあった)だからこそ、上地氏には吉田氏の轍を踏んでほしくない、いやいや、しかし、本当に大丈夫なのか、私の中には正直、そのような思いがあった。だから、これまでの発言のすべてを集めて、新たに市長になった人物の発言から、考え方、発想、その土台の思想、市政へのビジョン、その萌芽、方向性を探ろうと思った。

市長になってからのアップデートにも注意が必要

2017年に市長となってすでに6年が経った。6年間の中では今回のような「とんでも発言」はいくつもあり、(少なくとも私はそう思っている)議員時代にもつぶさに読み返せば、それに匹敵する発言はでてくるのだろう。しかし、もう「アーカイブ」少々古い。アップデートされている。6年間の市長時代のものを念頭にやり取りすることが求められる。と、言いながら、そんなに人間は変わるもんじゃないという思いもがある。一方で変わったなぁというところもある。どちらにも目配りしながら、今回の発言のコア部分に迫っていくことが必要だと思う。つまり、議員時代、市長になってから、トータルで、何が変わり、何がかわっていないのか、そこを押さえておくことが必要ということだ。

基地対策を巡る国との関係性においては明らかに変節した

上地氏は実際市長になって、ずいぶん変わったと思う。例えば、基地対策などを巡る市と国との関係性についてのスタンス、これは変わったと思う。この部分は議員時代と市長になってからでは、完全に変節したと思う。変節という表現は当たっていないかもしれない。メッキが剥がれて、地金が完全に表出したというべきか。良いとか悪いとか言っているわけではない。もちろん、私は悪くなったと思っているけれど、今、そのことを取り立てて論じるときではない。元々持っていたもの、本質的なものが表面化したということだ。しかし、ここではもう、これ以上この話は展開しない。私の上地克明観はおおよそ3部構成になっていて、基地対策についてはその1つの構成要素に過ぎない。第7艦隊司令部である米海軍基地のある横須賀市長として、米軍とフレンドリーにやっていかねばならないことくらい私でも理解できる。しかし、だからと言って、実際そうするかというとそれはまた、別問題で、もし私が市長だったら、モタモタして進まないPFASの原因究明について、地位協定の抜本的改定を強く迫り、それこそが大きな壁になっていることを記者会見して訴える。

「マーケティング」と「中小企業振興基本条例」

話を戻す。2つ目が経済への視点。これは市長が「マーケティング」という言葉を何度も使い、その手法の大切さをいろいろな場面で力説している点だ。これは議員時代に作成した中小企業振興基本条例に結実したと言ってもよいかもしれない。現在の文化スポーツエンタメ路線がその派生系だと思う。そして、3点目が人間観である。上地市長はいろいろな場面で「私は人が好きだ」と言っている。今回の青木哲正議員との質疑の中でも「慈しむ」とか「思いやり」とか「助け合う」という言葉を使っている。ここの部分が上地市長を形作っている土台の部分だと思う。

上地市長の土台を構成する人間観とは「地域で支える条例」

3点目の人間観であるが、これも上地氏が議員時代に作った「地域で支える条例」に結実していると思うので、以下に掲載しておく。黄色マークは私が注目した言葉。

「地域で支える条例」は2013年12月17日に交付され2014年4月1日に施行された。当時、私はこの条例を上地議員が提案してきたときに、どうしてこんな当たり前のことを条例に提案するのだろう?と思ったことを今でも強く記憶している。2011年に東日本大震災があり、「絆」のありがたさをみんなが実感していた。そして、それをあえて、条例にして市全体の理念として掲げようというのであった。もう1つ。7月の広報よこすかの「「市長の独り言」というコラム記事も載せておこう。ここにも市長の人間観があらわれている。

「私の人生観や知恵の原点はここにあるような気がする」と結ばれている。「ここ」とは「公園」での遊びを通した人間関係を指していると思われる。「たまには諍いも」あったが「上級生がうまく仕切ってくれ」「親の介入もなく」「様々な境遇のこどたちがいたが、みんな仲良くまとまってい」た。つまり、これが上地市長の目指す理想なのだと思う。年齢も境遇も違い、たまには諍いもあるが、そのコミュニティは常に助け合い、支え合い、協力し合って、困難を乗り越えていく。それを学齢期に強烈にインプットされ、人と人はそうあるべきという思いが構築された。人間への篤き信頼の醸成ともいうべき体験。いろいろな議員へのさまざまな答弁の際に、聴衆である私たちは、上地市長のこども時代へと誘われることが度々あった。しつこいようだが、もう1つ。教育委員会の教育大綱についても触れたおきたい。しかし、今回はずいぶん書いたので、この辺にしておこう。上地市長がなぜ、あのような女性蔑視の発言をするに至ったのか、それがテーマではあるが、この⑦は地下1階の話みたいになった感がある。地上1階は地下1階に何があるのか、地上1階は何によって構成されているのか、地下1階を抜きに「解明」できないと考えるので、この際、掘り下げのシャベルの手を休めるわけにはいかないのである。しかし、この後は⑧に続けるとしたい。教育大綱は「あなたが好き、私が好き、横須賀が好き」というフレーズの話になる。