大村洋子
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女性蔑視の上地発言を考察する⑤

「虐げられた女性の歴史」を「浄化」されるべきものと観る認識は「虐げられた女性の歴史」を汚いもの、きれいにするため取り去る物というふうに市長は見ているということだ。私は女性の歴史は「虐げられた歴史」だけではない、古代では「高い尊敬をはらわれる地位をしめてい」たということも述べてきたが、百歩譲って「女性の歴史をおおかた虐げられたものとしても、それを汚れたものとみて「浄化」の対象にするという発想じたいに違和感を覚える。そもそも「虐げられた」のが女性であるならば、「虐げた」のは誰なのか。女性が一人で「虐げられた」と勝手に思い込んで恨みつらみ悲しみを募らせていただけなのか。そんなことあるわけがない。②で展開したように差別ー被差別の関係性こそ問題にしなけばならないはずだ。つまり、「虐げられた女性の歴史」を男性の姿勢や社会全体の構造として捉えることができないという限界ゆえに市長は「改革」「変革」という表現が浮かばないのだろう。「怨念」「無念さ」には「浄化」「昇華」という精神論の言葉が呼応する。「女性が、女性が、っていう声が思い切りでるのは・・・」と声を上げる女性を疎ましく思い、自分の家では同列だから、世の中の「女性が、女性が」という女性たちは虐げられた人々であって「怨念」を持っていて、「浄化」されるべきだと思っているのだろう。上地市長はおそらく今、社会の中で起こっているジェンダー平等やダイバーシティ推進の運動について、理解しているフリをしているだけで、実際は何も理解していないのではないか。

先日の市役所前「抗議アクション」の時「生理の貧困問題」の時の市長答弁を引用した方がいた。なるほど、そんなこともあったなと思った。上地市長という人物の不見識がよく表れた出来事だった。文章が長いため黄色マーク部分だけ読んでいただければ、意味がわかるようになっていると思う。

一問一答における「生理の貧困」への答弁はすべて女性の副市長に答えさせ、不見識を露呈させた。

一問一答では1度も市長は自分では答えなかった。答えられなかったのだろう。でも、おかしいじゃないか、「生理の貧困はジェンダーに関わる重大な課題として取り組んでいく必要性を感じています。」と言い、いつものように「あらゆる差別や偏見を解消したいと考え、政治家を志した私」と言っているのだ。なのに、一問一答では一切を当時副市長だった女性の永妻氏に任せてしまったのだ。私は上地市長は結局、答弁する力量がないのだなと感じた。そして、「あらゆる差別や偏見を解消したいと考え、政治家を志した私」を持ち出すことはいつも「免罪符」になっていたのだと今にして思う。「あらゆる差別や偏見を解消したいと考え、政治家を志した私」は理解ある私、差別しない私、偏見のない私を演出する言葉として市長の本質を覆い隠す役割を担ってきた。だから「あらゆる差別や偏見を解消したいと考え、政治家を志した私」だからといっても、その「私」が本当に差別や偏見に対して知識と理解をしっかり持ち、的確に推進するリーダーなのかというと、そんな保証はあるはずもなく、実際に「あらゆる差別や偏見を解消したいと考え、政治家を志した私」である上地市長は志とは裏腹に、この上なく支離滅裂な不見識さを世の中に知らしめてしまったわけで、それはとりもなおさず、私たちがまんまと騙されてきたということだ。うすうす、そうかなぁと思ってきたことがいよいよその思いが確信へと変わりつつある。⑥へつづく。

214号今回の議会報告は「ワン・イシュー」