大村洋子
大村洋子大村洋子

女性蔑視の上地発言を考察する③

②では2021年11月27日の私の選択的夫婦別姓についての質問まで遡った。もう1度そのやり取りを掲載する。

選択的夫婦別姓=宗教的な情操?

上地市長は「夫婦別姓というのは選択制というのは私は宗教的な情操だというふうにDNAという問題だけでなくて根源的に思っております」と言っている。

ここで市長が言う根源的な問題とは「日本人としての生き方」を指している。

「軽々に話をすることができない問題」

また「個人の問題」

また「国民的議論の下に大きく本質的な問題にまで波及して考えなおしていかなければいけないもの」これが選択的夫婦別姓だと言っている。そして「DNAという問題だけではなくて」と言っているので、「DNA」も入っている、「DNA」は言わずもがなというニュアンスが出ている。

情操とは何かを調べてみると「美しいもの、すぐれたものに接して感動する、情感豊かな心。道徳的・芸術的・宗教的など、社会的価値をもった複雑な感情。ということだ。

市長の言わんとすることは「選択的夫婦別姓=宗教的な情操」ということだろうか。いったい何が言いたいのか、さっぱりわからない。仰々しすぎやしないか。日本人の歴史でみんなが氏を持つようになったのは、明治時代からと言われているから、高々155年くらいの歴史である。日本古来の生き方とか宗教とかましてやDNAなどはまったく関係ないのではないか。

私は前述のようにジェンダーギャップや男女の所得格差や国会議員の女性の比率の話をしているのだ。現実の社会の事実の話だ。それをまったく無視する形で意味不明な単語の羅列に終始させている。意図的であるならば悪意を感じるし、意図的でないとすれば、現実の社会の事実に向き合おうとしないということであり、いずれにせよ、やり取りを避けているということは、そこへの具体的な所見を持ち合わせていないということの証左だと言える。

自宅の前の掲示板に張ってあります

「私は差別や偏見をなくすために政治家を志した」という発言の真意は?

2021年11月27日、明らかに市長の中に宿る差別意識を体感した私にとって、今回の出来事は、元々市長の中にある差別意識がとうとう、誰の目にも明らかになったということにほかならないものであった。「私は差別や偏見をなくすために政治家を志した」と何度も繰り返すことを憚らない市長が、実は差別意識を内在していることが透けて見えてしまったということである。しかもそのことをまったく今もって自覚できていないことに、私は底知れぬ始末の悪さを覚える。だいたい、「私は差別や偏見をなくすために政治家を志した」と何度も繰り返すその真意はなんだろうか。私はそのフレーズを聴くたびに「だから、何だよ、何が言いたいんだよ」と思い、「だから、自分は差別なんかしないとでも言うのか?」と内心叫んでいた。この「私は差別や偏見をなくすために政治家を志した」という発言と同じ匂いのする発言がある。以下にピックアップしてみた。

「意味が私には今でもよく分からない。」で終わるこのパラグラフ。そっくりそのまま一言一句変えず、私も市長に感想としてお応えしたい。この5行の中だけでも疑問がいくつも出てくる。

①すべての決定権を「女房」が持っているというなら、あなたに決定権はないということか?

②機能分担、役割分担ができてきたと言っている。通常「性別役割分担」という言葉は否定的に使われているが、それをあえて、ここで持ち出している意図は何か。

③上地市長の家庭の中では全く同列であると言っても社会はそうではないのだから、社会こそ問題にするべきなのではないか。

後に出てくる「怨念」「無念さ」「浄化」「昇華」という情緒的な表現に現れているように、市長の思考の中には、社会の構造、しくみ、システム、体制といった観点からの差別ー被差別のアプローチがほとんど見受けられない。自分の生活感覚から言えば「同列」であり、政治信条としては「差別や偏見をなくすこと」であり、その差別や偏見は慈しみや思いやりの心があれば叶うものなのだという回路で言動を起こしている。私にはそう見える。首長がこういう発想に終始するならば、いつまでたってもジェンダー平等やダイバーシティの推進は停滞するばかりである。④へつづく。