女性蔑視の上地発言を考察する②
「上地発言」とは言うまでもなく横須賀市長の上地克明氏の発言のことである。①からご覧いただきたい。
私はどうしても上地市長の「女性が虐げられた歴史って多分ものすごくあって」という発言が気になる。①でも書いたけれど、虐げられた歴史しか頭に浮かばない上地市長の女性観って浅薄だなぁって思う。私は女性なので、自分たちの歴史の中には前述のように「高い尊敬をはらわれる地位をしめてい」た時代があったということに「だから、今のようにセクハラとかパワハラがまかり通る社会、賃金格差やジェンダーギャップ指数を下から数えた方が早い日本の現状、これが当り前じゃないのだ」という思いがある。確かに虐げられた歴史はたくさんあるだろう、しかし、それをわざわざデフォルメすることに何の意味があるのだろうか。
なお、私は女性を差別することを始めたのは、財産や相続の問題が人類にとって大きな問題になったことと無関係ではないと思っている。それはエンゲルスが「家族・私有財産・国家の起源」で展開している。世の中には、女性を差別することは財産や相続の問題とは関係せず、女性という性が劣っている、だから男性に付き従うのが当然の生き方なのだと本気で思っている人もいるのではないかと思う。なぜ、世の中に女性差別があるのかと根本的に掘り下げて考えた際に私は「家族・私有財産・国家の起源」で展開されている財産や相続をめぐる問題と切っても切れない問題として捉えるその観点を強く支持している。だから、本気で差別をなくしたいと思えば、1人1人の心の問題のみならず、社会の構造そのものを改革していかなければ、根を断つことはできない、そう思っている。
「女性のDNA ミトコンドリアの中に常に虐げられた歴史がある」という発言の真意とは?
この間、多くの人たちから「非科学的だ」という言葉を聞いてきた。上地発言の非科学性を表す最たる表現がこれではないか。私は叶わなかった緊急質問のはじめの通告書(私は情勢変化にあわせて通告書を更新させたので、2度提出している)の中で「女性のDNA ミトコンドリアの中に常に虐げられた歴史がある」という表現は「たとえ話」なのか「事実」なのか市長のご所見を伺うという質問を入れた。ふざけたような質問に受け取られるかもしれないが、そもそも「女性のDNA ミトコンドリアの中に常に虐げられた歴史がある」という発言自体がそうとうふざけているのだから、質問もそれに準じたっていっこうに構わないではないかと思った。むしろ、積極的に低次元質問をして1つ1つ丁寧に積み上げることが必要だと思った。
「たとえ話」でも「事実」でも答弁がどちらであっても早晩、市長の発言は自滅したはずだ。市長は最後に「持論を述べさせていただいた」と言っているが、これは市長独自の表現なのだと擁護する人物がいるだろうか。表現の自由の範疇に入るだろうか。私は入らないと思う。なぜならば、どこでの発言かといえば、横須賀市議会の本会議場、一問一答の真っ最中の発言であり、横須賀市の最高責任者である市長の答弁であり、会議録に未来永劫残る発言だからである。リラックスしたサロンにおけるおふざけおしゃべりとはわけが違うのである。
なお、一昨日の最終日で市長は「不適切だった」と謝罪し、取り消しを申し出たので、発言は会議録から削除されることになった。発言はなきものとなったわけだが、だからと言って、市長の中の差別意識が「浄化」されたわけではない。(浄化とはこういうとき使う言葉である。「浄化」についても今後、掘り下げて考える。)
DNAで思い出したことがある。実は私が2021年11月27日に行った選択的夫婦別姓についての一般質問でも上地市長は摩訶不思議な短絡答弁を展開し、「DNA」を用いている。改めてこの時のやり取りも振り返っておこうと思う。
社会の事象を抽象的な観念の世界で見ているのではないか
私はジェンダーギャップ指数、日本の国会議員の女性比率、コロナ禍における女性の自殺者の増加それが働き方の問題から来ているのではないかと展開しているのに、市長は経済的格差をスルーさせて、宗教的情操を失った日本人と言い始めアングロサクソンの物語とか家族主義・・・・と続くのです。 ③へつづく。