大村洋子
大村洋子大村洋子

女性蔑視の上地発言を考察する①

まずは市長の発言を振り返る。黄色マークは私の着目した言葉、もしくは文章。

全体の大きな流れで言えば、青木哲正議員が大項目である「女性に選ばれるまち」という観点の中で横須賀と歴史という切口で質問し、答弁として市長は持論を展開し、その中で女性蔑視の発言が飛び出したという格好になっている。

世の中の多くの場面で失言、妄言、蔑視発言、差別発言を「切り取っている」と主張して「不当だ」と言う人がいる。今回の場合はどうかと言うと、私はそれには当たらないと思っている。明らかに市長の発言は蔑視発言であり根底に差別感情がある。一問一答というやり取りの流れの中で出てきているので、市長の思考のプロセスをつかむことがまずは必要だと思う。

歴史観の話になるのかと思いきや「アイデンティティ」が出てきて、自分とは?の話かと思いきや、今度は「その前に」と文字通り前置詞が入り、いきなり今度は「慈しむ」という言葉が飛び込んできて、「差別のない社会」となる。市長の思考のプロセスをこうではないかなと私なりに想像すると、・・・・・人を思いやるということが慈しむということで、それが広がることが差別のない社会になるということ、それを自分は目指したい・・・・そう言いたいのかなと思う。

そこで、今度は「差別のない社会」と「女性に選ばれるまち」ということを結びつけて「女性が虐げられた歴史」の話になり「DNA]「ミトコンドリア」「怨念」「無念さ」へとつながっていくことになる。

私は前のブログで緊急質問の質問文を掲載したが、その中で自分なりに以下のようにまとめている。

そこで、市長の発した言葉から私なりに思うことを述べてみたい。私がこの発言を一番初めに聞いていて、それって、事実か?と思ったのは、「古今東西、歴史の中で女性が虐げられた歴史って、たぶん、ものすごくあって」だった。私はこの発言から本格的に始まる蔑視発言を青木哲正議員が一問一答を行っているすぐ後ろの議席で聞くことになった。市長は女性の歴史の中で虐げられた歴史にスポットを当てた。そして「たぶん」というあいまいな言い回しを使って「ものすごくある」と言っている。市長が言う虐げられた歴史とは具体的にどのようなものなのだろうか。虐げられた女性(受動者もしくは被害者もしくは被差別者)がいるのであれば虐げる何か(能動者もしくは加害者もしくは差別者)がいるあるいはあるということだろう。その関係性をどう捉えているのだろうか。そして、自分はどこに居るのだろうか。評論するだけの傍観者か。前述した「事実か?」の部分であるが、私が言いたいのは女性の歴史の主たるものは「虐げられた歴史」なのかということだ。端的に言って、この評価は浅薄この上ないものだなと思う。これが市長の女性観なのだと思う。

私は「家族・私有財産・国家の起源」というフリードリッヒ・エンゲルスの著作に20代で出会っている。ここでは「虐げられた歴史」どころか「高い尊敬をはらわれる地位をしめてい」た女性像が古代史研究のモーガンを引用し展開されている。②に続く

自宅の「すもも」を収穫中 採集時代にはすでに女性差別はあったのかな