大村洋子
大村洋子大村洋子

石垣島・与那国島・宮古島 3島をめぐる平和交流の旅②

たぶん、沖縄本島にはこれまで、4回行っている。石垣島は今回で2回目。与那国島と宮古島は初めて。さらに今回は宮古島から伊良部島、下地島へも渡っている。正確には5つの島を巡ったかたちになる。そして、3泊4日間に羽田、石垣島、与那国島、宮古島、下地島の5つの空港を利用した。1日に2回飛行機に乗った日もあった。陸上は観光バスで移動したが、大変な強行スケジュールで、この旅を乗り切ったこと自体、61歳の私としては自分に及第点を与えたい。

いたるところに平和への願いのこもった碑が点在していた。写真上部中央、ふじその議員と2人で写っている「戦争の放棄」日本国憲法九条の碑は石垣島のもの。私たちの身長が160cmくらいだからこの石は優に2m以上あるだろう。ガイドの宮良純一郎氏によれば条文はあえて毛筆調ではなく教科書のような文体にして誰もが読みやすいようにしたのだという。下段の右の碑はこどもたちが遊んでいた公園の敷地に設けられていた。宮古島のもの。

①同様また、12月定例議会の話題になるのだけれど、平和を求める請願として、「横須賀市が「核兵器廃絶・平和都市」であることを明示するモニュメントの設置について」というのがあった。モニュメントの設置をもとめる請願である。これは「中央公園」にあった「ヘイワオーキクナーレ」という横須賀出身の芸術家最上壽之(もがみ・ひさゆき)氏の作品に刻まれていた「核兵器廃絶」の文字を再度しっかりと横須賀市はまちの中に明示するべきではないかという趣旨である。この最上氏の作品、「ヘイワオーキクナーレ」は老朽し倒壊が危険だからという理由で解体撤去されている。「老朽し倒壊の恐れ」は横須賀市の管理不行き届きに起因する。この点についてはさんざん、議会でも議論してきた。

「老朽し倒壊の恐れ」それは本当だとは思う。であるならば、新たなモニュメントにも同じように「核兵器廃絶」を明示すればよかったのである。しかし、横須賀市はそれをしなかった。なぜか?私は「核兵器廃絶・平和都市」これを現時点で改めて明示することを憚ったのではないかと思っている。「平和」がついた「平和中央公園」は毎月1日とメモリアルな日には天空に光を照射することになっている。それはコスモポリティックでおしゃれかもしれないが、「核兵器廃絶・平和都市」は確実に希釈してしまった。核エネルギーを動力に持つ原子力空母の母港を容認している立場上、「核兵器廃絶」を堂々と高らかに宣言できなくなった。まったく、情けない限りである。「地域主権主義者」が泣く。

石垣市は道路側の市民がよく行き交うところに「非核平和宣言都市」の碑を設置していた。(下段の左)それはわざわざ、公園の中に入って散策するまでもなく、日常の中で何気なく目にする、通勤時も買物の行き帰りも、登下校でも老若男女が目にする、そういうものだった

「碑」とは何だろうか。

今回の旅ではたくさんの「碑」を見た。

そうそう、またもや12月定例議会の話になるが、私は一般質問の中に「横須賀における戦争の史実を捉え返し残していくことについて」という項目を立て付けた。これは横須賀の自然・人文博物館や図書館が「昭和100年」というキーワード(背景には戦後80年という意味)で展示を行ったが、それがとても良かったこと、このような節目で後世の人々に歴史を伝えていくことは大事なことなので、今後もぜひ取り組んでほしい、そういった趣旨の質問を行った。。

そして、この質問に至るきっかけが「碑の建設」という発想だったのでる。具体的には久里浜海岸、野比海岸で行われていた「人間機雷・特攻兵器」「伏龍」の「碑」である。以前にこのブログにも書いたが、講演会を聴いて強い感銘を受けたそれがきっかけだった。結果、「伏龍の碑をつくることを検討してはいかがか」などというストレートな質問にはならなかったが、私はここで、強烈に「碑」の建立の思いに駆られた。

話を戻すが、つまり人は何かを残したい、まだ見ぬ後世の人々にこの思いを受け継いでほしいと思った際に「碑」というものをつくるのではないかということだ。風雪に耐え物理的に堅牢でそこに文字や記号が刻まれているもの、威厳すらたたえ、それ自体が存在感を放つもの、時を選ばず、訪れた者に何らかの意志を伝え、考えさせるもの、それが「碑」なのではないか。そういう意味では今回の旅で私は多くの意志(遺志)を受け取ることができたのではないかと思っている。