「イワンの馬鹿」が問いかけるもの
最近、この本に関する書評を見たり聴いたりすることが続いた。それで、横須賀図書館で借りて読むことにした。「イワンの馬鹿」は絵本か童話か、とにかく子どもの読み物だという認識があった。その認識はどこから来るものだったのか、おそらく、小学校の図書室で見かけたのだろう、長い間、❝なんとなく知ってる❞という部類の本だった。
今回、じっくり読んでみて、驚いた。これは端折って読むような本ではない。これは明らかにトルストイからの「警告」である。しかも、今、まさに今、読む本だ。90年代でも80年代でも70年代でも60年代でもおそらく、「今」読むべきものだという本だろう。つまりは人類の「座右の書」なのだ。金と力、人間に宿る欲、そのために人間は競い、争い、命をも奪い合う。
レフ・ニコラエヴィッチ・トルストイ(1828‐1910)はロシアの伯爵家の四男として生まれた。2歳で母と死別、9歳で父と死別、叔母に引き取られた。20代でいくつかの戦争に行きその苦闘の経験から「戦争に真実はない、真実は平和の中にこそある」と訴えるに至り、非暴力主義の思想に傾倒する。49歳の時には「アンナ・カレーニナ」で世界的な名声を得る。しかし、上流階級のための文学ではなく「これからは、民衆と共に生き、人生のために有益なしかも一般の民衆に理解されるものを、民衆自身の表現で、単純に、簡潔に、わかりやすく書こう」との決意をもつ。
そして、56歳の時に「イワンの馬鹿」を書いている。
読後感としては何か大上段に立って、「だから戦争はダメなんだ」とか「金にまみれた人間は汚い。けしからん。」とかそんな尖がった正義感ではなくて、もっとふわっとした「ただ、普通に暮らしたいだけ」というようなつかみどころのない感じが残った。
また、トルストイは宗教に関する論文も多く、インドのマハトマ・ガンジー(1869‐1948)をして「感動で圧倒された。それは私に永遠の印象を刻みつけた」と言わしめたという。
私はユヴァル・ノア・ハラリが言う「虚構」を想起した。ハラリはサピエンスが現在の地球上で最も反映している理由を「虚構を基に意思統一することができる能力をもったこと」と言う。例えば、お金をいっぱい持っていることが素晴らしい、立派という思い込み、そして、お金というもの自体はただの銅や紙であるのに、それを物と交換できるようにルールをつくり価値を与えた。そして、「力」や「支配」という虚構をでっち上げて、戦争を始める。武器を持って他国を奪い取ることに血道をあげる。サピエンスは「虚構を基に意思統一する能力」を持ったがゆえに足るを知ることを忘れてしまった。
イワンの国では「手にたこのある者」はすぐに食事のテーブルに着くことができる。たこのない者は人の残り物を最後に食べることになっている。この、手のたこの有無を見抜いたのは生まれつき耳の聞こえない、上手く話すことのできないイワンの妹だった。本質を見抜き、そこに価値を見出す力。見た目に惑わされず、実をとる生き方。身体を動かし、額に汗して働くことの大切さ。「虚像」ではなく「実像」で生きること。そういうことをトルストイは言いたかったのではないか。





