一般質問★「いのちのとりで裁判」の最高裁判決(生活保護基準の引き下げは違法)について
先月8月23日(土)名古屋で「第16回生活保護問題議員研修会」があり参加した。毎年この時期に行われるので、9月定例議会一般質問の準備との兼ね合いで、参加を迷うところだが、今年は「参加」の一択しかなかった。それは何といっても、6月27日の最高裁判決を受けての研修会であることから、そのたたかいを中心になって取り組んでこられた方々のお話を直接聴きたかったからだ。そして、そのダイナミズムを体感し、そのまま一般質問に反映したいと考えた。
当然、一般質問の一番手に持ってきて、一問一答でもはじめに行った。「いのちのとりで裁判」の最高裁判決の勝利を受けて、私自身の生活保護相談活動の「ふしめ」の意味も込めて、はじめに個人的な思いから一問一答に入った。市長への質問で相談活動を2003年からと言ったが、良く考えたら2002年7月からであったから既に24年目に入っていた。市長からは思いもよらず、相談活動に対して「敬意を表する」という答弁が返ってきた。不思議な気がした。敬意を表されるようなことだったのかと思った。それはさておき、私はこの出だしのところで、市長に「誰も一人にしない」に裏打ちされた市民の悩みに寄り添うというその部分で共感の念を抱いてほしいと思った。そして、その思惑は市長の「敬意」発言で成功したと感じた。
他方で、質問全体のトーンを共有できるかというとそう簡単ではない。簡単ではないとふんでいた。
国は判決で違法性を断じられても謝罪もしない、すぐに引き下げを戻して事務手続きを地方自治体に指示するでもない、私は憤りを禁じえない。しかし、同じように横須賀市が思っていてもそれをそのまま表明はしないだろうと思った。だから、今回の一般質問では共感の念と、もし国から指示が来たらすぐに対応できる心づもりと、人員確保、場合によっては増員、それを執行機関のみなさんに提起することが獲得目標であった。
国が行っている専門部会の議論は何の意味があるのかわからない。最高裁が違法だと断じたのだから、これ以上何を議論する必要があるのか、これからはいかにスピーディに引き下げた部分をもとに戻し、今の物価に見合った基準に改正、さらに遡って賠償するかだと思う。同時に影響のある47の制度への対応である。膨大な事務が目前に広がっているのが国には見えないのだろうか。まさか、それらを無視しようとでも思っているのか。私は一般質問の中にも書いたが、「いのちのとりで裁判」はハンセン病のたたかいや旧優生保護法のたたかいに匹敵するほどの偉大なたたかいだ。同時に偏見と差別を土台にして政治が作り出した悪辣な政策だ。制度設計をでっち上げ、法制化し、政策として行ってきた政権が現政権であるがゆえに、最高裁判決が出ても今なお謝罪すらしない、自分たちのやってきたことの非を認める度量すらないのだ。
憲法第25条生存権、憲法第13条幸福追求権そういうものを土台において、ひとり一人が伸び伸び生きられる社会、そういう社会をつくっていくために引き続き、大きな政治の視野でも身近な自治体の事務、法定受託事務の観点でもしっかり関わっていきたい。
そして、困っている人の話をよく聴き、徹底的に学ぶ姿勢を持ち続けていきたい。





