大村洋子
大村洋子大村洋子

戦争と平和を考える8月

「記憶の継承を進める神奈川の会」主催の戦争の加害パネル展へ行った。8月は6日ヒロシマ、9日ナガサキ、15日終戦記念日ということで、「戦争と平和」を考える期間だ。毎年、何某かのイベントに行くようにしている。靖国神社の「遊就館」にも何度か行ったことがる。今年は夏になる前に東京で行われた研修のときを利用して久し振りに遊就館へ行った。

「遊就館」は批判的な目で展示物を観て、しかし、こういう考え方も世の中にあるのだという思いも持って巡る。どんな時もどんな場合も戦争を美化することは許されないからだ。

戦争の加害パネル展では、明治大学の山田朗先生の「『戦後80年』に振り返る戦争と平和」という講演を伺った。お話の中で印象に残ったのは「加害者はすぐに戦争や差別を忘れるが被害者は忘れることはないし、こどもや孫に伝えていく」という言葉だった。また、山田先生は戦争と植民地支配を一緒に捉えること、さらには関東大震災虐殺事件などから国内の暴力や差別も関連して考えることが大事だとおっしゃっていた。

戦争を遂行・維持していくためには兵隊となる者、「銃後」で家庭を守る者、それぞれが戦争に都合の良いような立ち居振る舞いをしなければならない。強制される。お互いが監視し合い、異を唱える者を排除する。そういうメカニズムが生まれ、助長される。

1910年の韓国併合、1919年の3.1独立運動、1920年の間島を拠点とした抗日運動と続く朝鮮半島の歴史、これはまさに日本の朝鮮半島への侵略に対する正当な朝鮮人民のたたかいであったわけだが、日本ではこれを「討伐」と言い、日本国内では「暴動」と報じ、新聞では独立運動家のことを「不逞鮮人」なる蔑称を用いて報じた。そして、1923年の関東大震災虐殺事件へとつながっていく。

私(達)がSNSで発信したり、集会・デモを行うと「共産党は日本から出ていけ」と言われる。怒りを通り越して呆れかえって笑ってしまう。日本で生まれて日本で育った私(達)をどこへ行けと言うのだろうか。現状が気に入らないのならば、ここから去れという発想はいったい何か。多様性を認めない、違いのある者を排除する論理だ。そして、そう言って憚らぬ者はそれが正義だと信じ込んでいるから始末が悪い。

みんな同じだと支配がしやすい。一方向へ容易に進むことができるからだ。それこそが戦争への道だ。

東京大空襲・戦災資料センター2025年5月5日

常に疑問を持ち、出来るだけ直接見聞きし、自分の頭で考えて、平和のために尽力し続ける。

日本から出て行かず日本の中で頑張る。