大村洋子
大村洋子大村洋子

石澤偉男さんを偲ぶ

石澤偉男さんを偲ぶ会が催された。石澤さんは日本共産党の市議会議員を3期務められた市政功労者である。しかし、私の知っている石澤さんは既に議員を引退されて、平和活動に尽力している石澤さんであった。

35人の人々が参加されて、思い思いに石澤さんとの記憶を紐解き語っておられた。改めて、石澤さんという人物を立体的に振り返ることができたひと時であった。

私は石澤さんと一緒に議員活動をしたことがない。私だけではなく、ねぎしかずこさんも井坂しんや県議も一緒に活動をしていない。少し年代的に遡ってみたら、1995年4月の市議選で石澤さんは3期目の当選を果たしていることが分かった。この時には根岸峰夫さんがたぶん4期目、小松社由さんも議員団の一員である。

1995年というと私はまだ横須賀にいないし、日本共産党にも入党していない。次の選挙は1999年に行われて、石澤さんはこの年僅差で次点となり落選して、その後は選挙に出ていない。私は1997年に日本共産党に入党しているので、この時の選挙は記憶にある。日本共産党市議団は4人を狙ってみたが、それは成らなかった。その年にねぎしかずこさんと現県議の井坂しんやさんが初当選し、根岸峰夫さんは5期目の当選を果たした。

なので、私は長い間、今も石澤さんは残念な人という印象が強い。しかし、当の石澤さんはそんな勝手な人の評価に頓着なく、伸び伸びと平和活動を行っていたのではないか。集会や学習会の場で時々、熱く持論を展開することがあり、そこは石澤さんの軸だったのだろう。

私の前にはねぎしかずこさん、井坂しんやさん、根岸峰夫さん、石澤偉男さん、小松社由さんがいて、私の後には井坂なおしさん、ふじぞのあきさんがいる。日本共産党市議団は脈々とつながっている。それを石澤さんを偲びながらしみじみ感じた。