大村洋子
大村洋子大村洋子

独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所公開視察

障害、障がいとは何だろうか。私は高校生になったときに教室の黒板の字が読みづらくなったので眼鏡をかけるようになった。眼鏡をかけるのは授業時間と映画館で映画を観る時くらいだった。家でテレビを観る時などは確か眼鏡はかけていなかったように思う。つまり、何かを集中して見る時に眼鏡をかけた。それが常時眼鏡になったのは24歳だった。なぜそうなったのかは明確で、台所に立っていたときに後ろを振り向いて寝ている赤ん坊の息子が起きているのか寝ているのかはっきり認識できなくなったのだ。つまり、寝ている息子の目は閉じているのか開いているのか、それがはっきりと見えなかったのだ。

これは人類にとっては一大事である。我が子の挙動が認識できないとは母親失格である。私はその時、ずいぶん狼狽えたと記憶する。だから、今でもこんなに鮮明に覚えているのだ。それからというもの私は常に眼鏡をかけるようになった。

昨日、市議団で視察した「独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所」には「発達障害教育推進センター」がありニーズ別にさまざまな教材や教具が展示され、体験できた。1人ひとりにとって、「聞く」「話す」「読む」「書く」などの動作が完了するためには人知れず努力が繰り返されている。ある子はそれを難なくやり遂げ、ある子は戸惑い立ち止まる。それを気づいたり、支援するのがいろいろな教材や教具であり、それをこどもの段階で確認するのが、この施設の役割なのだなと思った。

冒頭、長々と自分の体験を書いたけれど、私の場合は本格的に視力の衰えを感じたのは24歳だった。自分が気づいていないだけで、もしかしたらもっと出来ないこと、クリアーできずにいることがあるのかもしれない。それに、私の場合は加齢を伴う衰えであり、先天的なものとしてのカテゴリーとは違うのかもしれない。また、そもそも先天性、後天性にカテゴライズすることも、もはや意味がないのかもしれない。

この施設は昭和46年に設置された。52年前である。パンフレットには「我が国唯一の特別支援教育のナショナルセンター」「インクルーシブ教育の構築」の推進とある。世の中がダイバーシティと言い始めている中で、この施設の役割はますます大きなものになっていくと思う。人間とは何か。人権とは何か。協力し合い暮らしていくとはどういうことか。そういう根源的なものをこの施設は問うているのではないかと感じた。この視察を通して得た知見を市政の施策に役立てていきたい。