大村洋子
大村洋子大村洋子

ジェンダー平等を阻むもの②

前回、10月4日に「ジェンダー平等を阻むもの」というタイトルで①を書き、それから、もう今日が30日だから3週間半もそのままになっていた。当初、私の中にはこのタイトルで3回分くらいはシリーズで書けるかなという見込みがあった。でも、この間、結局いろいろと多忙でじっくりとこのテーマに浸かりこんで考え書くというところに結実できずに時間ばかりが過ぎた。

改めて思うに、このテの内容は実はとても書くのに辛いものがある。やっと、ここへきて気づいた。内省、自己の抉り出し、記憶の呼び覚ましの作業となる。それにうすうす気が付き、しらばっくれたい気分が忍び寄るのである。

市議団が定例議会終了後にいつも発行する「市民新聞」の記事を書いていて、改めて9月定例議会の市長答弁を録画で振り返った。6月もひどかったが、9月もさして変わらぬ。短絡した答弁だなと思った。市長が何か展開して答弁しようとすると後ろに座っている幹部の職員が「簡潔に」と声をかける。余計なことを言うなという意味である。こういう圧力が市長答弁を脈略飛ばしの短絡答弁へと誘導する原因なのかもしれぬ。もともと思考回路を客観的に順序だてて伝えることを不得意とする市長なのにそれを後部座席の職員がさらに拍車をかけるのである。これはある意味市長自身、不幸なことだなと思う。

とまれ、今回、ジェンダー平等の実現、そして再度、選択的夫婦別姓についての市長の認識を質問した。前回、2020年に質問した際とさして変わっていなかった。選択的夫婦別姓については日本の制度の進展が遅すぎて遅すぎて、呆れかえる。この問題は1990年代、つまり20世紀のうちに解決する問題だと思っていた。なのに、もう21世紀に入り23年。遅すぎて遅すぎて、呆れかえる(2回目)。

なぜ、日本はこんなに遅れているのか。端的に言って、私は煎じ詰めると天皇制に帰結する問題だからだと思っている。だから、日本において真にジェンダー平等、ダイバーシティを実現しようと思ったら、日本人全体が人権の問題として天皇制を捉えて論議することが要求される。これに日本人全体が耐え得るのかという問題だ。ここを正面に据えて乗り越えることが問われていると思う。

日本人の家族観は天皇一家にシンボライズされている。核家族化しあるいは食卓を囲む家族がバラバラな実態であっても、それはあまり関係ない。日本全体を覆っている古い家父長制の根が絶たれない限り、この問題はクリアーにならない。だから、その意味で市長が2020年にDNAやアングロサクソンを用いて表現したのは、ある意味で的こそ射ていないが、気持ちはわかる・・・(そう言っておこう。市長と私は立脚点は違うと思うが)

天皇制を言うとナーバスになる人、ヒステリックになる人、中には「共産党は日本から出ていけ」という人、いろいろな人が登場してくる。それだけ、大事な問題であり、軽々に語れない問題だということがわかる。でも、タブーにする必要はない。人権・ダイバーシティーを実現するためには避けて通れない。

日本共産党は戦前たくさん虐殺されている。絶対的天皇制のもとで侵略戦争反対を叫んだからである。今も本質的には変わっていない。虐殺こそされないけれど、罵詈雑言、悪罵を投げつけられる。でも私は何度も言うが、真のジェンダー平等、人権ダイバーシティーを実現しようと思ったら、最終的には天皇制に行きつくと思う。

弾薬や燃料が密集している横須賀港の荒井掘割水路を通る
(合成写真ではありません)