2021年ジェンダー平等社会実現へ尽力する②
①からご覧ください。
2020年12月定例議会の一般質問は6つの柱で質問をした関係で1つ1つを掘り下げることは出来なかった。特に選択的夫婦別姓の問題はほとんど深められないと思っていた。それでもいいし、むしろ、3月予算議会の代表質問への「頭出し」のつもりでいいと思っていた。
上地市長がどのような答弁をしてくるのか、いろいろ想定はしたものの結局最後まで、こう答弁してくるに違いないと言うところまでの思いに至らなかった。
それは、この間の市長の「人権」施策への積極性を過大に評価すれば、当然選択的夫婦別姓についても賛成を表明するのではないかと思った。藤野英明議員が全力で取り組んでこられた「性的マイノリティ」の方々の制度、具体的にはパートナーシップ宣誓制度に結実した中身などを見るにつけ、市長の中に差別や偏見は許さないという強い意志が感じられたからだ。その延長線上で行けば、「選択的夫婦別姓」も賛成というに違いないという思い、私の中ではそちらに傾いていたし、そう表明することを希望した。他方で、夫婦は同一の氏でなければ家族の絆が壊れるという古い考え方に拘泥している体質が自由民主党の一部の人々にまだまだ色濃く残っている。そして、そういう人々を支える一定の層もある。そこへの忖度をするのではないかとの思いもあった。それ以上に、一般質問の一問目にも書いた通り、市長の中に家父長制に近い家族形態に重きを置く傾向があるのではないかという思いもあった。
市政については後に触れるとして、最近の国政や国内情勢における「選択的夫婦別姓」についてまとめておきたい。特に国会論戦では小池晃参議院議員の質疑が素晴らしかったので書き留めておきたい。
日本共産党は2020年の党大会で綱領を一部改定した。中国をどうみるかということが大きな問題になったが、もうひとつ大きなテーマとして挙がったのがジェンダーの問題だった。2019年、2018年あたりから#MeToo、フラワーデモが盛んになってきた。セクシャル・ハラスメントや性暴力の問題も正面切って論じられるようになった。昨年の4月くらいだったか、国会で小池晃参議院議員が職場でのパンプス強制に対して取り上げて、時の首相も小池さんの意見に同調した。こういうやり取りを目の当たりにすると、本当に隔世の感がある。国民の運動が世論を喚起し、国会議員への質問へと反映し、さらに大きな国民運動を鼓舞する。古い体質、時代遅れの考え方がどんどん掃かれて脇へ追いやられていく手応えが感じられた。
また、11月6日の予算委員会での小池晃参議院議員の選択的夫婦別姓における質疑も非常に多くのことを考えさせられた。私はこの小池さんの質問をベースに自分の一般質問を作成した。
小池さんはまず第5次男女共同参画基本計画策定についての意見募集パブリック・コメントについて橋本聖子大臣に質問して、選択的夫婦別姓制度の導入について反対の意見がなかったことの答弁を引き出している。5600件以上の意見の中で反対が一つもなかったというのがすごいことだなと思った。そして、むしろ女性活躍の妨げになっていたり、結婚をあきらめる人や子どもを持ちづらいという少子化の一因になっているという意見があることも紹介させている。さらに小池さんは法律で夫婦に同性を強いているのは世界で日本しかない、この制度は「強制的夫婦同姓制度」、やっぱり変えるしかないときっぱり言い切る。そして、1996年の法制審の導入の答申を引用して、その際の4つのうち3つは実現しているが、ひとつだけ選択的夫婦別姓だけが実現していない、24年も経っている。踏み切るべきではないかと今度は上川法務大臣に迫っている。
ちなみにこの時の4つの柱は
①女性の婚姻適齢の引き上げ
②女性の再婚禁止期間の短縮
③婚外子への差別禁止
④選択的夫婦別姓
小池さんは上川大臣が2001年に自民党有志として党三役に申し入れをおこなっていると紹介している。内容は2つで、1つは選択的夫婦別姓制度導入に向けた民法改正について早急かつ徹底した党内議論を進めること、2つ目は速やかに今臨時国会に当該問題についての閣法が上程され審議に付されること。
そして、上川大臣は2008年「女性展望」という発行物に「私も選択的夫婦別姓については賛成で、そのために議員として活動していきました。政治家としての信念はと聞かれて、言行一致、つまり言ったことには自分で責任を持つことが大切だと考えています」と語っていることも紹介している。
さらに上川法務大臣だけではなく、2001年の自民党有志議員の申し入れには菅義偉首相も入っていた。菅首相は以下のように語っている。「例外制でも駄目ならもう無理という雰囲気になってしまった、しかし、不便さや苦痛を感じている人がいる以上、解決を考えるのは政治の責任だ。」(2006年3月14日。読売新聞)小池さんは別姓導入を求めてきた方が総理になり、法務大臣になった、いまこそ言行一致を果たすべき時と迫っている。
私は同じ議員として、小池さんの質疑は見事だなぁとつくづく思う。国民からの意見募集で誰一人反対はいない、時の総理も法務大臣も別姓導入を求めてきた人だ、ここで立ち止まる理由は何もないじゃありませんかと迫る。これを聴いている人はそうだその通りと思わざるを得ない。質問の立て付けが上手い。
しかし、「わかりました。やりましょう」とはならない。担当の橋本大臣の答弁には「国民の間にさまざまな意見がある」と言いながらも「若い人、困っている人にしっかり対応することが重要」と言い3人の中では一番前向きだったが、菅首相と上川法務大臣は別姓を求めてきた経緯がありながらも、共通して「我が国の家族の在り方に深く関わる事柄である」と言い「国会の議論の動向を注視しながら対応を検討する」とどうとでも取れる答弁に帰着する。
長々と国政の場の引用をしたが、結果、上地市長の答弁もこの菅首相の答弁の踏襲だった。正直、がっかりした。同時にやっぱりかと思った。しかし、それは言行不一致を決定することになるわけで、矛盾は市長にある。代表質問を作成するにあたり、市政に引き付けて、市民の困りごとを解決する立場でもっと深めていく。
以下は今後会議録に掲載される質疑。一問目と一問一答の全部。
2020年12月定例議会 一般質問における選択的夫婦別姓をめぐる質疑
大村洋子質問
ジェンダー平等の観点から、市長の選択的夫婦別姓の認識について伺います。民法第750条には、夫婦は婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称するとあります。夫の氏でも妻の氏でも構わないが、どちらかの氏に統一しなければならないということです。 これに対して、どちらかの氏に統一するのではなく、夫も妻も自分の氏をそのまま名のり続けられる別姓にすることも、今までのように氏を統一することも、つまりどちらでも可能というのが選択的夫婦別姓です。国の第5次男女共同参画基本計画策定に当たって、全国から5,600件ものパブリック・コメントが寄せられました。先日の参議院予算委員会の担当大臣の答弁では、反対の人はいなかったとのことです。早稲田大学の棚村政行教授と市民団体が10月に行ったインターネット調査では、60歳未満の成人男女の70.6%が理解を示したとのことです。実際には、圧倒的に結婚に当たって姓が変わるのが女性ということで、仕事の継続性が失われて困るという声も多く、女性活躍社会と言いながら、不利益を被る女性がいることは、ジェンダー平等から程遠いと言わざるを得ません。本市も、第5次横須賀市男女共同参画プランを実行中です。私は、選択的夫婦別姓がジェンダー平等のためにも早く実現されることがよいと考えますが、市長はどのような御認識をお持ちでしょうか、伺います。
市長答弁
次に、選択的夫婦別姓についてです。私は、あらゆる差別や偏見を解消したいと考え政治家を志しました。これに加え、いわれのない生活上の不便さの解消も私の責務だと考えています。そのため、夫婦別姓ではない現状において、いわれのない生活上の不便さがあるのであれば解消に努めるべきだと考えます。しかしながら、夫婦別姓については、歴史的な背景、家族の在り方に深く関わる事柄でもあり、広く国全体で議論されるべきと思います。
一問一答
大村洋子 市長は、かつて議員時代に地域で支える条例というのをおつくりになって、午前中の質疑でもそういった質疑がありました。正当な地域ナショナリズムを喚起し、家族が地域の中でともに暮らし、支え合う当たり前の理念、このためにこれを再構築するためにこの条例をつくったということです。それで、3世代で暮らすことを奨励されていたことがあるのですけれども、改めて今一人一人が個人が自分の生きざまというか、自由になっている状況があります。そういう中で、家族で暮らすということをあえて奨励されるということで、市長の家族観、あるいは親子観、夫婦観、そういうのを少し展開して教えていただけますか。
上地克明市長 個人的な話にまで言及せざるを得なくなっちゃうのですが、今でも3世代で住むのが私はベストだというふうに思っています。人が自由と言いながらも、3世代で暮らすことということが非常に重要だというふうに理解をしております。それはおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らすということが生きていく上でどういうことなのかという、人は生まれ、死ぬという一つのスパンの中で、あらゆる状況を自分の目で見るという意味では家族というのは絶対必要で、愛情とか慈しみ合うとかという最小限の単位が家族であるというふうに思っています。自由といえども、できる限り3世代で住むということが私は人としてベストではないかというふうに今でも思っています。
大村洋子 その上で伺いたいのは、選択的夫婦別姓なのですが、これは皆さんが別姓でやるべきだというふうに言っているわけでは決してなくて、やりたい人はやる。そして、同じ氏がいいという人は、同じ氏でももちろんいい。選ぶことができるということが私は大事ではないかな。世界でただ一国だけ、日本だけが統一した氏なのです。ですから、世界から見ても少し奇異なところがあるのではないかと思っているのですが、もう一回この夫婦別姓について、市長のお考えをお聞かせください。
上地克明市長 世界がどうであろうがどうでもいいことだと基本的には私は思っています。 これは個人的にはある考えを持っているのですが、今ここで開陳するつもりはありませんが、ただ具体的に言うと、産まれたお子さんがどちらを取るかということを選択しなければいけないといったときに関しては、非常に難しい問題が生じるのではないかというふうに機能的には思っています。もちろん個人的にはある考えを持っているのですが、それは今ここでは開陳するべきではないと思うし、これは国民的な議論の中でやっていけばいいというふうに思っています。
大村洋子 今回選択的夫婦別姓を取り上げたというのは、ジェンダーが日本の中ではまだまだ遅れている問題、ジェンダーというのは社会的な性差ですけれども、それがまだまだあるのではないかというふうに思っていまして、それでスイスのシンクタンクで世界経済フォーラムというところがジェンダーギャップというのを発表していて、153か国中、日本は全体で121位なのです。これだけ経済発展しているのに、ジェンダーのギャップがほとんど下から数えたほうが早いような順位になっている。しかもその中で特に私は注意して見たのは経済なのです。男と女で所得の格差があり過ぎる。管理職が少ない。そして、専門職も少ない。国会議員は女性の議員の比率も低い。今コロナで警察庁の統計を見た場合に、2019年の10月、これは女性の自殺者です。466人だったのが今年の10月、851人なのです。1.82倍になっている。これはいろいろな理由があると思うのですけど、男性より女性のほうがずっと自殺の率が高くなっているのです。私これは非正規雇用による減収、あるいは雇用を解消された首切り、そういうものが背景にあるのではないかなというふうに深刻に見ているのです。そういう今の日本の状況が一概に全部言えません。だけれども、氏を統一するということにこだわりを持っている日本の文化、これも一つ問題ではないかなと思うのです。いかがでしょうか。
上地克明市長 私は、経済的格差というのも一つの理由だと思いますけれども、私は基本的に宗教的情操を失った日本人だと思っているのです。これはアングロサクソンとの物語が始まるのだけれども、先ほど言った家族主義だとか、日本古来の生き方と日本人とか、宗教的情操というか、第一に不安があったというか、生きていくことはどういうことであるとか、そういうことが根本にあるならば、差別も起こらないし、こういうようなことも行われないというふうに私は思っていて、夫婦別姓というのは、選択制というのは、私は宗教的な情操だというふうにDNAという問題だけではなくて、根源的に思っております。ですから、経済的な理由だけではない問題がそこに大きく潜んでいるという、人間として、あるいは日本人としてどういう生き方なのかというふうに、根源的な問題だと思っていますので、軽々に話をすることは私はできないと思っている。個人の問題、ただこれは国民的議論の下に大きく本質的な問題にまで波及をして、考え直していかなければいけないものだというふうには理解しています。
大村洋子 ジェンダーについての市長のお考えをかいま見た思いがしました。この問題は非常に根深いというか、しっかり深めていかなければならない問題なので、今日はこれだけをやっているわけにはいきませんので、また次回の宿題にしたいと思います。
市長の答弁は難解で意味不明な点がある。
個人的なある考えって何だろうか。
アングロサクソンとの物語が始まるって何だろうか。
日本古来の生き方と日本人って何だろうか。
宗教的情操って何だろうか。
DNAという問題だけではないってどういう意味だろうか。
私はよっぽど、このテーマに固執して議論したい衝動にかられたが、「宿題」という自分でも都合の良い言葉だなと思いながら発した言葉に頼って次のテーマに移った。しかし、思い出しても支離滅裂な答弁だった。そもそも、庶民に氏が定着したのは明治時代からだと言われている。法務省の夫婦別姓(氏)制度の説明には以下のように出ている。(大村要約)
徳川時代、農民、町民には苗字=氏の使用は許されていず、氏の使用が許されたのは明治3年(1870年)9月19日の太政官布告。その後、明治8年2月13日には氏の使用が義務化。兵籍取り調べ必要のために軍から要求されたと言われる。しかし、明治9年3月17日の太政官司令では妻の氏は実家の氏を用いることとされていた。つまりこの時点では夫婦は別氏だった。その後明治31年旧民法が成立しこの時点で夫婦同氏制となった。家制度を導入し、家の氏を称するという考えだった。昭和22年改正民法では旧民法のような家制度からの発想ではなく、男女平等の理念と夫婦の合意ということを入れて夫婦同氏制となった。
このように苗字の歴史はせいぜい150年余。縄文時代から江戸時代の日本人には苗字はなかった。兵籍のために軍から要求されたことから始まったこと、そして、夫婦が同氏となったのは明治31年というから1898年で、今から123年前である。たかだか123年しかこの制度は歴史がないのだ。
そうなると、ますます、市長の言う日本古来の生き方と日本人とか、アングロサクソンとの物語って・・・・よくわからなくなってくる。
これは何か神話の問題ではなくて、制度の問題であり、もっと言えば、国民支配のツールであると思う。「我が国の家族の在り方」というよりは「人権」の問題だと思う。基本的人権が脅かされているのに、「国全体で議論されるもの」と言って待ちの姿勢でいいのかということだ。総選挙の争点にもなっていくような問題だ。