大村洋子
大村洋子大村洋子

「ケアラー」という概念。とりわけ「ヤングケアラー」

「ケアラー」とはあまり聞きなれない言葉だ。夏の終わり、まだ暑いくらいのときだったか、たまたまつけていたテレビで「ヤングケアラ―」と言う聞きなれない言葉が流れた。

先日の「自治政策講座」のテキストにはこのように記されている。

「ヤングケアラー」・・・家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートを行っている18歳未満の子どものこと。

日本では実態把握が遅れているとのことだが、2017年の「就業構造基本調査」では15歳から29歳の介護者が21万人いるという。この介護者というものがどの程度のものなのかわからないし、18歳以上の人も含まれているので、日本全体の実態はまだまだこれからという感じだ。

日本ケアラー連盟が2015年、2016年に小中公立学校向けに行った調査では南魚沼市の教員の4分の1が、藤沢市の教員では2分の1が「ヤングケアラーだと思われる生徒がいた」と回答している。

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「老老介護」と言われる、高齢の夫婦のどちらかが相手を介護する状態、「老障介護」あるいは「障老介護」と言われる障害をもった人が高齢者を介護する、あるいは高齢者が障害者を介護するといった状態、このような本来ケアされるべき、守られるべき立場の人が、介護する側にならざるを得ない状況が広がっている。

しかも「ヤングケアラー」たちは長い人生を生き抜くために今、まさに成長過程でさまざまなことを学ぶ保障がされなければならない人たちだ。「老老介護」や「老障介護」とはまた次元を異にして課題があると思う。

 

講義を聴いていて、鮮明に思い出した。

そういえば、高校に上がったばかりの頃、季節の良い時期だったと記憶しているので、5月くらいだったか、母親が入院したことがあった。父は家事をしない人だったので、学校へ行きながら、ご飯を作ったり、洗濯をしたりがほとんどすべて私の仕事になった。そして、合間をみて母の見舞いに行った。それまでの私は24時間をほとんど自分自身のために使っていたわけで、自分の時間を家事や見舞いや、つまり家族のために割くということに面食らった。そして、かなり疲弊した。

ほどなく母は退院し、家庭はもとに戻ったが、自宅療養が長引き、それが固定化し介護となったらと思うとぞっとする。

 

これからの日本は介護をする人、「ケアラー」の健康、とりわけ「ヤングケアラー」の成長の保障を本格的に考え制度として進めていかなければならないと強く思う。