「横須賀の歩んだ昭和」横須賀市自然・人文博物館で開催中。12月28日まで。
今年は昭和で通算すると100年だと言う。確かに昭和39年生まれの私が61歳になったのだから、そういうことかぁと後から納得した。



特攻兵器「伏龍」作戦





戦艦ミズーリの入港

施設のこどもに届ける兵士
横須賀の100年と言った時に、鎮守府、海軍工廠、海軍、その後の海上自衛隊は抜きにできない。同時に進駐軍、駐留軍となった米軍もそうだ。やはり横須賀は「軍港」「軍都」を抜きにして語れない。
私が横須賀は「基地のまち」と言ったら、上地市長は「基地のあるまち」と言った。これは似て非なるものだ。私の「基地のまち」には横須賀のまちの評価が入っているが、市長の「基地のあるまち」は事実を言っているに過ぎない。そして、「基地のまち」という評価に「それだけじゃないだろう、それだけではない横須賀を私は目指している」という市長の思い、ニュアンスを感じた。
とはいえ、「横須賀の歩んだ昭和」の展示を観るとやはり、このまちは「軍都」であったし、今も「軍都」の影を背負い歩んでいると言わざるを得ないと私は思う。
旧軍港市転換法を考え、横須賀の住民自治を考える時、なにゆえ、このまちには暗雲が垂れ込めているような空気が常に漂っているのか、名状しがたいものを感じる。
私は沖縄にあこがれる。沖縄のたたかいは力強いから。
そうならざるを得なかった歴史があるし、沖縄の中にも様々な苦闘があることも知っている。そして、横須賀の中にも歴史にも基地をどう見るのか様々な思いがあることも事実だ。
小栗上野介や中島三郎助の時代だともっとパッと明るくはじけた横須賀、三浦半島が浮かび上がるのだろうけど、昭和の100年となるとなかなかに暗い。これは歴史だから逃げようがない。





