最後の講義 どうして生命にはそんなに価値があるのか 福岡伸一著
生物学者の福岡伸一氏の「最後の講義 どうして生命にはそんなに価値があるのか」を読んだ。福岡伸一さんはだいぶ以前に元YMOの作曲家坂本龍一さんと対談しているのをテレビで観たことがあり、ユニークな学者さんだなと思っていた。
その先生が「生命は機械ではない。生命は流れだ。」と言ったルドルフ・シェーンハイマー(1898~1941)に影響を受けて「動的平衡」という概念を提唱している。シェーンハイマーは「ダイナミックステイトに私たちの身体はある。動的な状態にある」と論文に書いている。これをもう少しかみ砕いていうと「ミクロなプラモデルみたいな部品で私たちが出来ているという機械論的な生命観ではなく、私たちの身体はもっと流動的に絶えず動いているという生命観」ということだ。
「動的平衡」における考え方のキーワードは「動き」「流れ」「変化」「時間」ではないかと受け取った。私はすごくがっちりとした手応えとは言えないけれど、「あぁ、やっぱりね」的なうっすらとした納得を得た気がした。
こどもの時から、「生命とは何か」とか「なぜ、人間は生きるのか・生きるとは何か」とか「どうして食べると成長するのか・どうして食べると動けるのか」みたいなことが絶えまなく何をする際にも胸の内に流れていた。哲学的な意味合いの部分はさておき、生物学的観点から考えれば、現在の私はリチャード・ドーキンスの「生物は遺伝子によって利用される”乗り物”に過ぎない」という考え方に大きく依拠していると思う。改めて、その方が楽だ、そこにとりあえず、座ろうかと思った。今回、福岡伸一氏の「動的平衡」という概念に触れてなおさらその考えが深まった。「動的平衡」には物事を部分で観る形而上学から連関や変化で捉える弁証法への発展が見て取れる。私はフリードリッヒ・エンゲルスの「空想から科学への社会主義の発展」を思い出した。
新型コロナウイルスのパンデミックで、ウイルスと人間の関係性について、多くの方々が考えそれを発信している。様々な観点で考えることができるテーマだと思う。生と死、生物と無生物、大きな視野にも立ちながら、また、議員としての任務を行い、謙虚になってものを観ていきたい。