大村洋子
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「トモダチ作戦」で被ばくしたロナルド・レーガンの米兵たち

悲しみの星条旗パンフ

「悲しみの星条旗」という舞台が昨年、同じ時期に横須賀で上演されて、今回はそれの映写会だった。

小泉純一郎元首相がアメリカへ行き、フクシマ原発の支援に入った米兵たちが放射能プルームを浴びて被ばくし、後遺症に苦しんでいることに涙を流しながら記者会見したことは有名だ。元首相はフィンランドにある「オンカロ」という「核のゴミ」の最終処分場に行き、衝撃を受けたというのも有名で、一連の経験を経て今ではすっかり「反原発」の旗手になっている。

小泉氏は純粋に心情論に立っているのだと思う。日本のために支援をしてくれた人々が後遺症で苦しんでいることに居たたまれない。日米同盟のミッションで行われたとは言え「トモダチ作戦」に参加した米兵たちのその後はあまりに気の毒だという思いなのだろう。

上地市長も昨年アメリカ国防省(ペンタゴン)を訪問し現地で関係者と交流し「人のために命をかけるという思いを持っているというすごみというものを感じてきました。」と私の質問に答弁したことがある。こちらは衝撃と同時にいたく感激もしている。

小泉氏にせよ、上地市長にせよ米軍の「本気度」に触れて感化されている。

お二人の発言にむしろ純真ささえ感じるのだが、事はそこで終わるほど単純ではないのである。

アメリカという国は不思議な国だ。

1986年にソ連・ウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故を知っているはずだし、何より自国では1979年にスリーマイル島で原発事故を経験している。そもそも、空母ロナルド・レーガンは原子力を動力とするもので、いくら4重の堅牢な「壁」があるからと主張しても原子炉の中には死の灰が溜まっていてそれが放射能を撒き散らせば人体にどのような影響が出るかはわかっているであろうに。

「トモダチ作戦」は誰のどのような判断で敢行されたのだろうか。

気象学にも長けた人物が周辺にはいたであろうに、原子力プルームを想定出来なかったのだろうか。

乗組員の被ばくにおける心身の影響、ダメージコントロールを想定できなかったのだろうか。

少し余談になるが、原子力空母セオドア・ルーズベルトの新型コロナウイルス感染症の感染者は1,100人を超えたとも報道されている。こういう報道を見聞きするとリスクマネジメントの実効性が疑われる。意外にも米軍は脆弱なんだなと感じる。

「高度な政治判断」という表現で物事が明らかにされないことが、政治の世界では度々あるが、「トモダチ作戦」や「集団感染者の発生」もその類だろうか。

私は星条旗を背負って任務にあたった米兵のみなさんには心から気の毒な思いを持つけれど、その大本にある日米安全保障条約や日米同盟のしくみで暗躍する中枢の人々、東京電力など原子力発電にしがみつく輩、こういう部分にメスを入れることなくして、本質は変わらないのではないかと思う。

名もなき多くの人々のいのちが簡単に傷つけられ、奪われることに大きな憤りを感じる。捨て駒にされる米兵にも同情を禁じ得ない。