大村洋子
大村洋子大村洋子

「アベノミクス」は毒をまき散らかして破綻する。 格差拡大ふざけるな!

総選挙では自民党の「圧勝」とか「大勝」とかマスコミはずいぶん大げさに報じたけれど、自民党の得票を見れば有権者比で比例では17%、小選挙区では24%。この程度で、「国民から背中を押された」などとは傲りも甚だしいといわなければならない。2012年の暮れに第2次安倍内閣が誕生し、「アベノミクス」なるものがはじまった。もう、丸2年過ぎて、働く人の賃金は上がらないし、むしろ増々格差が広がっていると言える。そもそも、一つの経済政策が打たれて、それが2年を過ぎても、まったく効果がないにもかかわらず、どうしてこうも悠長に世の中は「アベノミクス」に寛大なのか、私にはまったく理解できない。もう少し、時間を与えてみよう、そう性急に事は進むまい・・・そういう時間はもうとっくに過ぎているんじゃないか。

お正月に若い論客たちが「大転換」というキーワードで縦横に論議する番組があり、興味深く視聴した。その中で、ある人は「格差があるのは人類の歴史をみれば、むしろ当たり前で、第2次世界大戦以降に、所得の再分配が意識的に行われてきた。」云々との発言があり、驚いた。私の頭の中は、唯物史観があり、したがって紆余曲折しながらも人類は自由と民主主義を獲得していくものだとの認識がある。エンゲルスの「空想から科学への社会主義の発展」によれば、未だ人類は「必然の国」を続けているのであって、「自由の国」には到達していない。格差があってあたりまえなる発想はなるがままの成り行き任せの、受動的な社会観だと思う。能率、効率が第一義の競争社会では勝者と敗者では、まるで違う。格差をよしとする社会は未熟で、本当の幸福のない社会だと思う。

先ほどエンゲルスを登場させたので、ついでに(といっては、失礼だが)マルクスにも出てもらおう。格差をよしとする社会は幸福ではないと書いて、思い出したマルクスの言葉がある。

もしも一人の人間がただ自分のためだけをはかって仕事をするならば、あるいは、彼は高名な学者、偉大な賢人、傑出した詩人になることができるかもしれないが、しかしけっして完成したほんとうに偉大な人間になることはできない。歴史が最も偉大な人間たちと呼んでいるのは、一般のためにつくすことによって、自分自身をりっぱにした人たちのことであるし、経験が最も幸福な人間としてたたえているのは、たくさんの人々を幸福にした人たちのことであるし、宗教そのものがわれわれに教えているのは、万人の手本となっている理想の人は人類のためにその身を捧げたのだということであって、はたしてだれがこのようなことばをあえて否定するだろうか?(真下信一氏の訳)

マルクスの言葉を私なりに咀嚼すると、矛盾や不満や格差や不条理が蠢く社会で、それを放置して、見て見ぬふりして自分だけが幸福になることはできない。そんなものは本当の幸福ではないということだ。

「アベノミクス」は毒をまき散らかして、破たんする。抒情的にモノを語るのは今までもやってきたけれど、経済についてもっとしっかり数字や事実で語っていけるようになりたいと思う。だから、今日は神奈川県学習協会の旗開きに参加してきた。そして萩原伸二郎先生の「オバマノミクスでアベノミクスを斬る」というお話を聴いてきた。つまり、そんな流れでいるんだけど、ブログを書くと、こんなまとまりのつかない文章になってしまうわけです。エンゲルスとかマルクスの言葉を思い出してしまうんです。

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