大村洋子
大村洋子大村洋子

原子力空母配備から10年。横須賀のまちを歩きながら考えた。

日本国憲法第13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と謳っている。いわゆる「幸福追求権」である。

私は横須賀が原子力空母の事実上の母港になっているということは、この幸福追求権を著しく侵害しているのではないかと思う。

原子力空母が危険だから、怖いから、アメリカのいいなりだから・・・・どれも全部当てはまる。

しかし、原子力空母という存在そのものは、私の、私たちの生活や命や幸福を脅かす。

 

 

だいぶ、昔にバートランド・ラッセルという人物の言葉を引用した本を読んだことがあり、それがおそらく私の中の「核」に対する原点かもしれない。

ラッセルは核兵器が「文化の伝統」を破壊することを警告した。

ラッセルは一瞬で人類に多大な影響を及ぼす核兵器に対して、その他の兵器とは画することを明らかにした。

刀や銃でも人を殺戮できるが、核兵器はそれらと比べものにならないほどの殺傷能力がある。

しかもそれは、持ってるぞ、使うぞといって心理的に脅すことも可能な武器だ。

 

原子力空母と核兵器は同列には論じられないが、原子力発電所と同様に、事あれば大惨事になるという点では、冒頭書いたとおり、人々の幸福のうちに人生を過ごしたいという思いを侵していると思う。

 

2018年原子力空母抗議集会デモ

米海軍基地開放ロナルド・レーガン乗船 (50)

上地市長は「あらゆる差別、貧困、飢餓をなくすことが」平和につながることだとおっしゃっている。

また、「安全保障環境が変化していく中で、日本の平和と安全を確保するために抑止力、対処力を変化させていくのは理にかなっている。」ともおっしゃっている。

しかし、だからと言って、平和的生存権や幸福追求権が脅かされては、元も子もないのではないか・・・と私は思う。