大村洋子
大村洋子大村洋子

評価することを強いる社会、一方で「評価はなじまい」とする市長。

今日、ガス屋さんが警報機の取り替えに来た。

前回取り付けたときから、期限が来るからというものだった。

12,420円お高いなぁ。

全部が終わったら、ガス屋さんがハガキを出して、「今日の私の対応についてのアンケートです。お手数ですが、書いてポストに投函してください。」と言った。

そういえば、横須賀市のコールセンターに電話した際にも、「ただいまの私の対応について、少しお時間をいただき、アンケートをお願いします。」と言われたことがある。

世の中、何でもアンケートである。

そのことを息子に話したら、「俺なんて、その場で書けって言われたことがある。」と言っていた。これはきついなぁ。本人を前にして「あんたの態度サイテー」なんて書けるわけないよ。

 

過日、予算議会の政策推進部の審査の時に“KPI”について議論した。

KPIとはkey performance indicatorの略で、重要業績評価指標と言われている。

市の事業、施策は、出来るだけ少ない税金で最大の効果をあげるために、行いの効果検証が至上命題になっている。

私は、政策推進部との議論の中で、煎じ詰めるとKPIが指標のための指標、評価が誰の目からもはっきりわかるようなものを指標にして、本当の意味での効果が軽んじられてはいけないのではないかと主張した。「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の中にもわけのわからぬKPIがいくつかある。

例えば、これは政策推進部長も答弁の中で使っていたが、会議を何回開催したかといったようなことを指標にする場合がある。これはアウトプットであって、目的や効果こそが、つまりアウトカムが大事なのに、回数という分かり易く単純でクリアーできたかできなかったかが明確なものが選ばれやすい。効果とはそう簡単に目に見えてわかるものばかりではないし、時間のかかるものもあるのだ。

そもそも、自治体が行う事業や施策は企業がモノをつくり物流を通して、いくつ売って稼いだかという、利潤の追求とは土台からして違う。教育や福祉に損も得もない。人の生命を育み支えるためには金があるからやる、ないからやれないという話ではない。だから効果という物差しは難しい。難しいことをしているという自覚の上に行わなくてはいけないと思う。

 

 

“評価”で思い出したことがある。

予算議会の代表質問で、井坂なおし議員が、市長に2018年度の国の予算編成ついての評価を質問した時に、市長は「一首長である私の立場では政府の予算案を評価するのはなじまない。」と答弁した。これを受けて、一問一答で、井坂なおし議員は「評価はしているが口には出せない、自制しているのか?」と彼特有のユーモラスでスパイシーな質問をして、議場を和ませた。

この市長の答弁は今もって理解しがたい。その後、市長は「評価ではなく感想なら言える。」といって展開したが、これを聴いてますます、“評価するとは何か?”と思った。

そんなに構えなくってもいいのになぁ、私は正直、そう感じた。

評価へ向かう時、人は緊張するのかもしれない。評価と言った場合、そこには根拠がいるし、その根拠に至った過程も説明しなければならないし、評価が出たことで、今後の態度を決めなければならないし、とにかくとても厄介なものなのではないか。責任が生じる。

感想というと個人的で、主観的で、感性やフィーリングで、とにかく私はそう感じたんだと言えばそれで終わりだから、他人からとやかく言われても、どうということもない。

上地さんの口から、政府の予算案を評価するのはなじまない・・・こんな言葉が出るとはねぇ、ずいぶん遠方へ行かれてしまったのだなぁ。

 

とまれ、人や物事を評価するというのは、自分に軸がなければできないことだ。

私は、多くの有権者から選ばれたからには、いかなる時にも対象の物事に対してこうだ、ああだと旗幟鮮明にすることは責任だと思っている。

だから、その軸を表明していい時、と「なじまない」時があるというのは、理解しがたい。

「一首長として・・・」というのは、否定的な枕詞にする言葉ではないと思う。

国と自治体は対等で協力関係なのだから。とくに2000年以降地域主権はさらに鮮明になったのだから。

 

 

ガス屋さんへの評価は全部「とても良い」にした。

実際、明瞭な声で分かり易く説明してくれたし、テキパキと手際よく仕事をしてくれた。

万事がこんな簡単に評価できれば、苦労はしない・・・。

 

Yデッキの花2 (2)

夕方、改憲NO!の署名活動をやった。

Yデッキは黄色系のお花がいっぱいだった。