大村洋子
大村洋子大村洋子

満員電車と非正規労働者とクラウドソーシングについて考える④

お時間のある方はぜひ、①②③と先にご覧ください。

横須賀市がクラウドソーシングのセミナーを催したら、80人定員枠が満杯になった。そのセミナーに私も参加視察して、感じるところがあり、こうしてシリーズで書くことになった。あまり、展開する気もなかったのに、書き始めたら、実はクラウドソーシングっていろんな分野を想起させることでもあった。

人にとって所属するとは・・・、前項の最後にそんなことを考え始めた。エブラハム・マズローの自己実現理論である欲求段階説の第3段階に所属の欲求というのがある。仲間に入りたいという思いだ。私の中では、この考え方は結構根強い。自分が所属欲があるというだけでなく、人間にはそもそも誰かと群れたいという思いがあるはずだと決めつけている。その所属は緩やかなものもあれば、かなりがっちりと深い絆のものもある。例えば私なら、家族の一員であるし、日本共産党の一員であるし、横須賀市議会の一員でもある。こんな感じで、誰しも、なにがしかのグループに入っている。入っているだけでなく、その一員として、なにがしかお役に立ちたい、さらには認められたいと思っている。私の中ではそういうのが社会を形作っているという思いがあるのだけど、クラウドソーシングはそういう所属の一つである職場を体感できないものへと変質させる懸念がある。

 

地方創生で、首都圏に集中してきた、人、モノ、金、情報が地方に分散させられようとしている。クラウドソーシングで働こうとする人は、そもそも首都圏に住んでいる必要はなく、山間部でも離島でも好きな場所に住まいを設定できる。それは“ローカル・アベノミクス”には好都合だ。

でも、なんだか、人がバラバラにピースみたいにされるような感じも受ける。前項で、コミュニケーションが希薄になるのでは?と書いたけれど、あまり群れなくなった場合、大丈夫なのか、ホモ・サピエンスは。考え過ぎだろうか。

とりとめのない話を書いてきた。クラウドソーシングは計り知れない可能性を持っていると思う。と同時にヒトにとって弊害もあるのではないかと思う。今の段階ではよくわからない、でも今後クラウドソーシングに関わる人口が増える中で、きっとデメリットも顕在化すると思う。それが、人類にとって致命的なものにならないといいけどと思う。 終わり。

 

ゆず湯に入るモルモットの寝癖ちゃん。これは昨年の画像。

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