大村洋子
大村洋子大村洋子

戦艦陸奥の主砲に思う

戦艦陸奥の主砲が横須賀のヴェルニー公園に設置されるという。厳密にはこの件に係る議案第119号一般会計補正予算は、現段階で正式に可決されていないので、決定ではないのだけれど、おそらく十中八九、通るでしょう。

私は、第2定例会(6月)ではじめて補正に出てきて以来、自分で言うのもナンですが、ずいぶん真剣にいろんな角度からこの件について考えてきた。今の今だって考えている。

戦艦陸奥は1921年(大正10年)横須賀海軍工廠で建造されている。しかし、1943年(昭和18年)瀬戸内海で謎の爆沈。1474人の乗組員のうち助かったのは353人とのことだから、1121人が亡くなっている。亡くなった人の多くは溺死ではなく爆死である。その後、1971年(昭和46年)海中から4番砲塔は引き上げられ、「船の科学館」に展示された。

つまり、この4番砲塔の砲身の一門である当該主砲は、沈没した1943年から引き揚げられた1971年の28年間海の底深く、じっと物言わず横たわっていたわけだ。まぁ、もっとも引き上げられ展示された段になっても、沈黙は守っていただろうが、その存在は観る者に様々な思いを起こさせてきたに違いない。私は、むごいなぁと思う。1121人もの尊い命が戦争のために失われている。

こういうものが、ヴェルニー公園に設置される、これはどんな意味があるのだろうか。どんな意味になるのだろうか。

オリンピック、パラリンピックの関係で、「船の科学館」にはもう設置できない。これを機に横須賀海軍工廠で建造されたのだから、横須賀に「里帰り」させようという機運が起こった。

百歩譲って、有志の方々が私有地に設置し、海上輸送費、維持管理費、最終の廃棄処理に至るまで、責任をもって行うというのであれば、それはそれで、結構なことだと思うが、横須賀に主砲が来たらそく横須賀に譲渡でその日から、市に責任が生じるというのはいかがなものか。

公が受け取り、公が責任をもって維持管理していくというなら、それ相応の内容がなければならないはずだ。