大村洋子
大村洋子大村洋子

日本丸の招致をめぐる問題で明らかとなった吉田市長の資質

帆船日本丸の招致に係る浦賀地域における説明会があった。

夕方6時半からはじまった説明会は45分ばかりの短さで終わった。終わってから、ずっと釈然としない思いが胸に残った。市長が直接、説明会の中でなぜ、日本丸の招致を久里浜港にしたのか、その経緯と理由を述べた。時系列に沿って、市の方針に則って、また財政的な観点からも述べられた。これを聞いて、率直に、あぁ、市には市の考えがありその流れで日本丸の招致は久里浜港に決めたのだなと思った。

平成19年まで久里浜港は大分との相互の航路があったが、それがなくなった。公共岸壁のある久里浜港に対し市は79億円かけて埋め立て事業をおこなった。今年7月1日の記者会見で、事業用地について売却と貸付が決定したことを市長は発表している。つまり、市の本音は、着々とポートセールスをおこなってきたことから、“久里浜港イチオシ”なのではなかったか。私はそう思う。日本丸を招致して久里浜港をPRしたい、これが市のねらいなのだ。

私は、この態度は特段問題のあるものだと思わない。確かに日本丸が浦賀で建造され、多くの浦賀の人々はそれを誇りに思い、愛着をもっている、本当ならば、浦賀港に日本丸を呼びたいと思うのは当然だと思う。そのために実際、具体的に動いた方もいるのだろう。第2回定例会の一般質問の南議員も緊急質問をした渡辺議員も、それら住民の強い要望を背景に質問していたと思う。私自身も浦賀に住み、浦賀選出の議員として、浦賀のまちが日本丸の招致で活気づくのは良いことだと思う。市制100周年の8年前、日本丸は浦賀に寄港した。その時、浦賀のまちがお客さんでいっぱいだったのを、私も良く覚えている。

しかし、誤解を恐れず、言うならば、久里浜港への招致の経緯と理由を聞き、さらに浦賀港への招致となった際の水深、護岸、付帯設備の確認の必要やそれに係る財政的な問題、時間の問題などを考えると、現実的には難しいという思いに至る。つまり、総合的に考えると、日本丸の招致は久里浜港で妥当ということになる。これが今の時点での、私の率直な意見。

 

冒頭書いた「釈然としない思い」について戻ろう。

前述した内容、こういう客観的で現実的な経緯と理由をなぜ、市長は南議員へ答弁しなかったのだろう。まったく、不思議でならない。最初から、この内容を丁寧に説明すれば、南議員、渡辺議員等、自民党の議員も浦賀地域の住民の方々も受け止め、理解してくれたのではないだろうか。それを日本丸の船長から褒められたこと、あたかも日本丸側が是非とも久里浜港に寄港したいと表明したから、招致先は久里浜港に決めたかのごとき答弁に終始したのは、どう考えても全体を切り縮めた答弁と言わざるを得ない。

港湾部はおそらく、この間、久里浜港の活用のために努力を重ねてきたことと思う。それは公共岸壁をもつ市の使命だと思う。そういう港湾部職員の仕事を吹っ飛ばして、日本丸船長の言動を第一義にしてしまう市長の姿勢ってなんだろうか。確かに初めて会って、船長から褒められたというのはインパクトがあり市長としてこれは「使える!」と思ったのかもしれない。しかし、これに固執するのは、異常なデフォルメであり、著しくバランスを欠いた寄港地決定の無理やりな理由づけと言わざるを得ない。

“なぜ、浦賀でなくて久里浜なのか、日本丸を浦賀に里帰りさせたい”この強い思いに対して、「実は久里浜をお望みなのは、日本丸側なのですよ。」市長は自分たちの意向ではなくて、あくまで日本丸側の意向なのですということを強調することで、浦賀地域の要望をかわそうとしたのだろうか。

しかし、その市長の考えは破綻した。渡辺議員の緊急質問における追及の中で、実は船長に会う9月より前、8月の時点で、市は久里浜港への寄港を依頼していたのだ。8月の依頼文について、市長は「記憶していない。」と言った。これはにわかに信じ難い。知っていて、故意に8月の依頼書に触れなかったとすれば、「虚偽答弁」であり、本当に「記憶していない。」というなら、これはこれで、問題であり、いずれにせよ、市長としての資質が問われる問題だ。どうも、ものごとを小手先で進め、気づかれなければいいだろうというような、不誠実さを感じる。大丈夫だろうか、この市長。ことはかなり深刻ではないか。この市長の資質の問題は、早晩、議会で問題にしていかなくてはならないと思う。