非科学的思い込みによって描かれている、時代錯誤の教科書を子どもたちの手に渡してはならない
教科書問題の学習会があり参加してきた。3月11日のブログに古賀茂明氏の言う「戦争するための13本の矢」を列挙したが、考えてみればその中には、教科書問題がなかった。でも、本当に「戦争できる国づくり」を進めるのであれば、社会科のとりわけ、「公民」や「歴史」で子どもたちの頭と心をコントロールする必要が出てくる。戦前の「修身」にあたる「道徳」の教科化も問題になっている。
「育鵬社」や「自由社」の社会科教科書がいかに事実を捻じ曲げる、とんでもないものかということは以前から、知ってはいた。こんなものが横須賀でも行われたら大変だ、シャットアウトしなければと思っていた。2015年度は中学校の教科書の選定の年にあたるため、しっかりと目を光らせていきたいと思っている。
今日の元横浜市立中学校社会科教員の神谷幸男氏の話は、すごく具体的でわかりやすかったので、聴いた内容を多くの人々に広めたい。どこが歴史の事実を捻じ曲げているのか、何が問題なのかを書いてみたい。
育鵬社の「新しい日本の歴史」にはこう書いてある。「日本は、他国からの大きな人口の流入もありませんでした。縄文時代の人々も、奈良時代や平安時代の人々も、私たちと血のつながったご先祖様ということができます。日本の歴史は私たちのご先祖様の歩みなのです。」
ところが、実際はどうかというと、次々と文化をもって日本列島にやってきた人々のブレンドが日本人であり、日本文化である、これが事実。ミトコンドリアDNAの分析では中国東北部や朝鮮半島の人々との共通性が強い。また、天皇自らが平城遷都1300年式典では桓武天皇の母などを例に天皇家と百済、朝鮮と日本のつながりを語っている。
身体の特徴で言えば、日本人の中には耳垢がねっとりして、わきががあり二重瞼の縄文人系と、耳垢が乾燥しててでわきががなく一重瞼の弥生人系が混在しているという。1980年代に確か当時の中曽根康弘首相が「日本は単一民族国家」と発言して大問題になった。また、2000年には当時の森喜朗首相が「日本は神の国」発言をしている。
どうも、自民党のみなさんは非科学的なことでも、それが真実だと思い込んでいらっしゃるようだ。私自身は、何かの宗教を信心しているということはなく、日本が神の国だとか、天皇の先祖が神だとか、そんなことは一切信じない。ただ、少なくとも日本人の多くが天皇家に親しみを感じ、日本の象徴だと感じていることを否定するものではない。伊勢神宮へも熊野神社へも高千穂へも行った。島根県の出雲大社にも行った。そういう日本人を束ねる思想や文化には、大いに興味がある。インドのカースト制と似て非なる日本の階級制度、その頂点にいたのが天皇であり、それは政治が国民を統治するために存続させてきたものだ。敗戦後のとくにGHQが占領軍から駐留軍となり、続けて日本を管理していくためにも天皇制を最大利用した。こういう意味では、何か神秘的な天皇制というよりも、本当はもっと打算的で生臭いものなのかもしれない。
いずれにせよ、なんとなく、日本の中に、日本人の中に日本は特別な国という考え方、土壌があり、それらは根拠もなく非科学性だけで蔓延してしまい、私たちの心に巣食ってしまっているのではないか。日本人はここを突破できなければ、本当の意味での世界の一員にはなれない。戦争で負けるとわかっていても、神風が吹くとかそういう非科学的なことをいつまでも言ってるようじゃ、ダメだ。だから、アメリカの51番目の州だと揶揄され、日米地位協定でひどい差別を受けているにもかかわらず、ピンとこない。裏で笑われているのに、それにも気が付かないんだ。本当の愛国とは、こういう現状を打開するために力を尽くすことだ。
花鳥風月、枯山水、わび、さび、それらを誇れる日本、素晴らしいものとして捉えるのはいい。しかし日本が一番、日本は他国とは違うと言って外国を蔑んだり日本より劣ると観る排外主義は大問題だ。そういう思想を流布して国民をまとめ上げ戦争へ駆り立てて行った歴史を反省しなければならない。過渡のナショナリズムの鼓舞や国粋主義の拡散は、21世紀の世界には時代遅れだ。「日本軍慰安婦」問題や南京大虐殺を言うとなぜ、自虐史観をわざわざ持ち出すのかという潮流がいるけれど、過去の歴史の真実と向き合わない国民は、世界から見放されてしまう。
安倍首相の周りは、そういう国粋主義、「靖国史観」に立脚した人々ばかりなので、というか安倍首相がそういう人々を内閣に起用しているのだろうが、歴史の逆行も甚だしい。これからは、ますますこういう時代錯誤な潮流の跋扈が顕著になってくると思うので、このような動きを許さない運動が大切になってくると思っている。議会の中でも外でも心して頑張りたい。