大村洋子
大村洋子大村洋子

3月予算議会日程 自民党市議団と統一協会 永井真人氏が副議長を投げ出して議員辞職

議会報告ご覧ください。

 

統一協会と市議会議員の接点の件で、情報公開請求をした後、資料が開示され、それについて記者会見をした際に、記者に「なぜそこまでこだわるのか?」という趣旨の質問を受けた。記者はそこまであけすけに聴いたわけではないし、そもそもそういう趣旨ではなかったのかもしれないが、私にはそのような趣旨として感じられ、そのことを今に至っても自問自答している。

私はその時に記者に「統一協会は国際勝共連合であり、反共だから」と言った。煎じ詰めるとそういうことだ。

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これは、12月定例議会で市長に質問した際の市長の答弁への私の対応とも強くリンクする。

市長は過去の統一協会が現在取りだたされているほど、反社会的な団体であったか、そうではないだろう、ということを展開していた。つまり、自分にはそれほどの認識がなかったと、そこにしがみついてやり過ごしたいというスタンスが見えた。

もっとはっきり言えば、今夏の参議院選挙の最終版に安倍元首相が銃撃され、それ以降、容疑者の動機から統一協会という団体の反社会性が明るみとなりそれ以前は統一協会という団体は反社会的ではなかったのではないか、あるいは少なくとも自分は反社会的という認識は持っていなかった・・市長はそう言いたいのだと思った。

 

2つの点で反駁したい。

1点目はこのようなことを今の時点で言う首長は失格だということだ。

なぜ、失格か。

世間は統一協会は既に反社会的団体であるとの共通認識になっているし、過去にそのような認識がなかったから、今言われてもナンセンスと言ったところで、そのことを発している自分は誰なのかということだ。つまり、現在首長である自分の立場を重く考えるならば、少なくともの「知らないとは言え・・・」と前置きをして反省の弁を述べるのが首長のあるべき姿ではないか。

2点目、市長が反社会的団体であるとの認識がなかったという点だ。

この点については私の主体性とも大いに関わるので、私は12月定例議会ではむしろこの点についてこだわって質疑を交わすことになった。「市長と私は10歳違う。私が知っていて、市長が知らないはずがない」この認識に私はこだわった。

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表は赤旗編集局発行の「統一協会 危険な二つの顔」というパンフレット掲載のものを拝借。

霊感商法は1987年には160億円もの被害を出している。このころ既に統一協会は大問題になっていたのである。1987年と言えば私は23歳市長は33歳くらいである。2人とも大人であり市長は「私はあらゆる差別や人権の問題を解消したいと考え政治家を志した」とおっしゃっているのだから、33歳でこの時の統一協会の反社会性を知らないはずはないのである。

私は実は高校を卒業してしばらくした頃に中学校の部活動の先輩に誘われて、ビデオセンターに行ったことがある。後にそれが統一協会の研修所であったということを知ることになる。私はその頃すでに今も座右の書である「空想から科学への社会主義の発展」を読んでいて、社会や歴史とはどのように出来ていて、自分は如何に生きればよいのかなることをいつもいつも考えていた。統一協会はそういう「浮遊」常態の若者をつかまえて原理研運動に引き込んでいったのである。

私は10代の最終版から20代の初期にかけて真逆の思想を並行して体感していた。

ビデオセンターには結局2度と行かなかった。しかし、その後も統一協会の動向については関心をもってみていた。

私は12月の定例議会一般質問で統一協会の問題を取り上げるにあたり、

日隈威徳氏の「統一協会=勝共連合とは何か」

鈴木エイト氏の「自民党の統一教会汚染追跡3000日」を読んだ。

はっきり言って、この団体はカルト集団である。

解散命令に値する団体である。

私は自己の体験もあり、日本共産党員として、日本共産党市議会議員として、多くの国民の中にいる被害者のことを考えても到底、統一協会を許すことはできないのである。その団体と接点をもって、持ちつ持たれつウインーウインの関係を持ってきた政治家、今もって反省の弁すら発すことのできない全ての政治家、この方々に対して、モノ申すことを止めるわけにはいかないのである。