横須賀市の選択→全員喫食の完全給食 ここに至るまで→そしてこれから④
政治決断をした市長が、自分のメインテーマの具体的施策として、「全員喫食の完全給食」を掲げるのは至極当然のことだと思います。前回のブログでも書いたように、言いだすのが遅いくらいでした。しかし、それを言い出した途端に、今度は得も言われぬ気分に襲われるのはなぜでしょう。
前回、前々回のブログで、お昼ご飯を準備できない生徒や家庭の話を書きました。生活保護受給世帯や就学援助対象世帯のことも書きました。私が、これほどまでに中学校の完全給食にこだわる大元はやはり、こういった今の「格差と貧困」「子どもの貧困6人に1人」「貧困の連鎖」といった観点があります。ここをスルーさせて、「選ばれるまち」に直結させようとする市長の「ご都合主義」に少々胡散臭さを感じるのです。
給食がないと選ばれない」という市長の発想はその通りだと思います。そして、そのことを大きく打ち出していくことも良いと思います。しかし、忘れてならないのは、今までむしろこの完全給食を放置してきたということを重く受け止めるべきだということです。完全給食は教育の一環であり、であるならば、結果として、教育の機会均等にも反してきたということです。そして、それは生活困窮世帯にとっては、直接的経済問題でもあるということです。
横須賀も中学校にも完全給食・・・方向性が出て良かったなぁと思います。全国では9割が行っている完全給食が横須賀ではやっと緒についたわけです。レイマンコントロールの合議体である教育委員会は「楽しい給食」を目標にしています。この「楽しい給食」とは言い得て妙です。「楽しい給食」であるためには温かく、栄養のある、みんな同じの、美味しい、時間的余裕もあり、安全なが前提条件となるものです。ここに派生して、残食を減らす、したがってごみの量も減らすとか公的扶助、就学援助のカバーとかアレルギーや中毒への対応なども入ります。エッセンスが収斂されて「楽しい給食」につながります。これを導き出した教育委員会の理想こそ常に念頭に置かれるものだと思います。「すべては我ら横須賀の中学生のために」これを合言葉に進めていくことが大切と思います。