大村洋子
大村洋子大村洋子

③横須賀市議会 100条調査特別委員会 ことの本質は何か

① ②からご覧いただければ幸いです。

今日は、大掃除をしようと思って、洗剤やらゴム手袋やらタワシやら、しこたま買い込んだ。商品を眺めながら、あれやこれや考えてカゴに放り込んで、レジでお会計。買物はとても楽しい。脳内からβエンドルフィン大放出、いい感じでストレス解消になった。

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さて、100条調査特別委員会のつづきを考えよう。

100条調査特別委員会は場合によっては、98条の検査権に移ることもある。100条の調査権となると、証人1人1人が宣誓をして経験や事実を答える。なぜなのかということを、もっとよく勉強しなければならないと思っているのだけれど、尋問は証人の思いや意見を問うことはできない。前述のように経験、体験、事実を尋問し、証人はそれに答える。

私は、ほとんどリアルタイムでネット中継を見るか、聴くかをしてきた。そして、100条調査特別委員会が、証人にとってはもちろん緊張の連続であろうが、所属の委員にとっても質問の仕方に限界があり追及という点では、なかなか核心へと近づけない、難しい、そんな感を持った。

会議では、昨年2014年9月に横須賀市側と航海訓練所側が会った際に、2015年の日本丸招致について話題が出たのか否かということに、ピンポイントでテーマが絞り込まれていった。「話題が出たのか、否か」がなぜ、これほどまでに大事かと言えば、それは前月の8月に市は航海訓練所に招致の依頼文を出していたことから、市の側から話題を出すのが自然だっただろうし、もしそうであるならば、市長が強調する「船長に久里浜港を褒めていただいた」ことが久里浜港に決めた最大の理由という論法の信ぴょう性が揺らぐということにつながる。

ごく自然に考えれば、8月に依頼文を出しているのだから、9月に会った際には、改めて依頼を念押し、確認しお願いし、お礼を言うのがスジだろう。そして、そういう話を市の側が出すのであれば、当然久里浜港への招致を主導するのは市であるから、どんなに船長に久里浜港を褒めていただいたとしても、それが第1義にはならないはずである。

しかし、シニカルに言わせてもらえば、事実よりもここでは創作に物事を合わせることが「至上命令」になる。特別委員会では「話題が出たのか、否か」についてずいぶん集中してやりとりになったが、結果、市長も部長も課長も総じて「話はしなかった。」「なかったと記憶している。」という答えだった。判で押したような答弁に私は不信感を抱いた。それは特別委員のみなさんの方が強い思いだったと思う。大野議員から航海訓練所は市側と違う見解を持っている、問い合わせをしたいということになり、結果、航海訓練所に問い合わせたところ「話はあった。」という返答が返ってきた。

 

100条調査特別委員会では、この第1の付議事件を巡って最終的に告発するべきか否かについて論議となったが、結果、特別委員会として告発は見送られた。この時点で結論は出さず、3つの付議事件が終了した時点で、再度、告発するか否かを考えるということになった。

私たちは「告発はできない。」「告発という手段は適さない。」という態度表明をとった。

特別委員会でねぎしかずこ議員が主張した内容を以下に掲載する。

地方自治法100条調査特別委員会 告発に対する日本共産党の見解

100条第9項には、「議会は、選挙人その他の関係人が、第3項又は第7項の罪を犯したものと認めるときは、告発しなければならない。」とある。

ここでいう第3項とは、「正当の理由がないのに、議会に出頭せず若しくは記録を提出しないとき・・・・」であり、今回の件には当たらないと判断する。

つまり、今回の件に該当するのは第7項であり、「虚偽の陳述をしたとき」という点に集約される。

そこで、さらにポイントとして大切なのは、証人の陳述が「虚偽の陳述と認められるか」という点である。

航海訓練所からは「面談の際に150周年記念日本丸招致の話題はあった。」とのことだったが、証人からは「話はしなかった」「なかったと記憶している」との陳述であった。

ここで、はっきりするのは、航海訓練所と証人の発言、記憶に「食い違い」が生じていることである。

さまざまな状況を鑑みれば、到底、航海訓練所が虚偽を発することは考えにくく、証人の陳述こそ信憑性が疑われるところである。しかし、100条9項には「7項の罪を犯したものと認めるとき」とあり、客観的に観れば、「食い違い」は明らかだが、それが「虚偽である」という決め手に欠けると解さざるを得ない。物的証拠がないゆえに「虚偽答弁」を「認める」とはならず、「告発しなければならない」とはならないと判断せざるを得ない。

さらに言えば、航海訓練所と証人の面談時における150周年日本丸招致の話題の存否は、100条調査特別委員会の付議事件の本質とは異にした内容ではないかと私たちは判断する。本質ではない派生的な内容を司法の判断に委ねても、本来、正さなければならない市政の在り方、市民や議会への姿勢の問題にまで踏み込んでの解決には至らないと私たちは判断する。 

100条調査特別委員会の中で、関係していた多くの職員が思い違いをしていたと陳述した。明らかに作為を感じるものであるが、作為がなかったとして、全員が事実と違う思い違いをするというのは行政の在り方として大問題だと指摘せざるを得ない。作為があってのことであれば今後の行政運営に重大な禍根を残すものである。

私たちは、このように100条調査特別委員会で明らかとなった、行政運営の不透明さ、組織的な問題点は、行政内部の自浄作用が働かなければ、本当の改善にはならないと判断する。

以上のような観点からも私たちとしては、司法に委ねる「告発」という手段は適さないと判断する。

なお、日本丸の久里浜港招致をめぐる問題の締めくくりとして、100条調査特別委員会における審議の内容を報告するとともに、さらには「市長及び副市長の服務及び倫理に関する規範の「2信用失墜行為の禁止」「3倫理の保持」に反することをはっきりと断ずることが必要と判断する。最終的な責任に関しては、2番目3番目の付議事件の審査の後に判断するものとする。

私たちの主張のポイントは3つあって、①100条調査権における告発をまず字義どおりに捉えて判断した。②告発の理由が本質的なことではないこと。③告発しても本当の改善にはならず、行政内部の自浄作用こそ必要であること。よって、司法に委ねる告発という手段は適さないと判断した。

私は①にものすごく拘った。本音を言えば私だって、航海訓練所の主張こそ事実だろうと思ってる。8月に依頼文を出しておきながら、9月に会った際にその話を持ち出さないなんて、ありえない話だ。社交辞令や交渉のやりとりの初歩すらないのか、むしろそちらの方こそ問題だろう。しかし、これは状況証拠でしかない。双方の主張に「食い違い」があるのは事実だが、市側の答弁が「虚偽である」という客観的な証拠はないのだ。なので、ここは「告発」へと踏み切ることはできないと判断するしかない。どちらが虚偽かは議会の解釈で良いのだという論法も成り立つかもしれない。しかし、私は議会から司法へと委ねる際に、「推測」や「解釈」で委ねていいとは思わない。ここは厳格にするべきだと思う。  たぶん、まだ、つづく。