大村洋子
大村洋子大村洋子

自分らしく生きられる社会への前進

6月定例議会が終わって、まだ、少し、興奮が残っていた翌日、2026年度第1回目の「男女共同参画及び多様な性の尊重に関する審議会」を傍聴した。この審議会の傍聴はだいぶ久しぶりであった。

「ジェンダー平等」という言葉が社会に広く流布されるようになったが、はじめの頃は正直、違和感を覚えたものだ。日本共産党が頻繁に用いるようになってからもしばらく、私の中では戸惑いの言葉だった。

しかし、最近は「ジェンダー平等」や「LGBTQ」を考えることは、煎じ詰めるとその人物の人間観や人生観にまで及ぶ内面の‟ひだ”を表出させる問題なんだろうと思うようになった。机上で学ぶことと同時に絵画やファッションや小説といった表現の分野に近いのではないか。感性が大事にされる領域のような気がする。

人間の感性が自由にはばたく世界、委縮したり束縛されたりすることなく伸び伸びとどこまでも広がれる社会、資本主義社会の現在においてもここまで推進することができている。まだまだ、偏見や差別があるにはあるが、それらを客観視し、論じ、なくす方向を意思一致できる場が広がっている。

第6次のプランの課題として「男性を含む多様な立場に目を向ける」ということが出されたという。したがって、第7次についてはそのことがプランの中に書き込まれていくことになるのだろうと思う。

男性がセクハラやパワハラを相談する窓口が横須賀市にはなかった。今はどうなのだろう。以前に男性から相談されたことがあって、神奈川県の相談窓口につないだことがあった。D・Vというと圧倒的に被害者は女性、加害者は男性とういう構図だが、女性が上司の場合のパワハラ、セクハラはこの構図が逆になる。

「ディスクロージャ―」という1994年制作の映画を思い出したので、アマゾンプライムで観ることにした。男性が被害者、女性が加害者という構図の映画だ。32年も前にこのようなセクハラとパワハラとバーチャルリアリティの世界をベースに小説として世に放ったマイケル・クライトンの洞察力とクリエイティビティは驚愕に値する。

高市政権になって、ジェンダー平等やLGBYQなど自分らしく生きられる社会への前進にブレーキがかかっているが、一時的なことだと思う。大きな大きな人類の歴史にとってはこの流れはもう堰き止めることはできないだろう。